下書きに残っていた数年越しのエントリを供養するシリーズ。
思い出してごらん
もうずいぶん前のことだけど、どうしてもどうにかして書き残したいので、大阪千穐楽の感想を書き連ねる。なんかこう、どれだけ考えても練ってもうまく言えない。
先に言っておくけど、とても良かった。でもこう、うまく言えない。
なお、わたしにとってお芝居における「しんどい」は「良かった」と同義です。
自分じゃ選ばなかったお芝居
東京初日を観た観劇仲間から
とりあえず「世界は一人」を観てください。
という、ダイマなのかオススメなのか分からない報告を受けてチケットを取った。演出脚本の岩井秀人も初見だし、松尾スズキのお芝居もほぼ初見。松たか子も瑛太も実際に板の上で観るのは初めてだし、前野健太さんも未履修。
自分ひとりなら選ぶ要素の無いお芝居でした。
そもそもこれまで、現代の日常とか、ひとの人生を描いた作品を選んで観ることはほとんどなかった。非日常こそが娯楽だと思ってるフシがあるので、観るとしたら時代モノ。ファンタジィ。アクション。SF。
わざわざ「家族の愛」とか「日常の幸せ」とか「一生に一度の恋」を映画館に観に行きたい!という気持ちには、ならない。(否定しているわけではない。決して。わたしが能動的にあんまり選ばないだけ。好みの問題。誘われたら観るし家で観ることもあるよ!)
でも、お芝居はそもそも非日常なんだなって思い知った作品でした。
物語を「映像で再現」する映画と違って、お芝居は全てが虚構の上に成り立っている。一本の棒が扉になり、鉄の板はベッドになり、そこにいる人も存在しないことになっている。在るモノは無いことになり、無いモノは在ることになる。
若い女の子が老婆の役をしても、オッサンが小学生になってもいい。松たか子と瑛太と松尾スズキが同級生でもいいんだよ。
そんな非日常の中にあるから、お芝居はあんまり怖がらずに選んでいいんだなって思えたお芝居でした。
ごちゃごちゃ言ってるだけで何の感想も書けてなければ熱量も伝わらないと思うけど、とにかく良かったんだよ。信じてくれ。
底に沈んだ汚泥はどこへ
海の底の汚泥をすくい上げて、もうきれいになりました。ねえ先生、汚泥は何処へ行ったの?変わりたくないあなたを他の誰かが少しずつ代わりに持って。(その他人の負は何処へ行ったの?)
他の人には言わない家の中の濁った風景。きっと誰もが持っている、人生の苦い部分。幸せな記憶と歪な現実。
誰もが見ないようにして端に寄せているそんな汚泥を、板の上に生きる人たちを通してぜんぶ表面にさらけだされるようなお芝居で、心当たりのあるワタシは最初から最後まで心臓にナイフを突き付けられてる気分でした。しんどい。
どれだけ成長しても、環境が変わっても、どこかで生まれる汚泥は少しずつ溜まっていて、どこで間違ったのかと言えば、何も間違ってない。そもそも、誰もが、そういうモノであって、溢れてるか溢れてないか、ただそれだけ。みたいな。
どれだけ何を書いても何の手応えも無いけど、とにかく人生というものの歪さとか苦さとか、臭いものにフタをしていたパンドラの箱を、涼しい顔で容赦なくこじ開けて来るみたいな、しんどいお芝居でした。信じられないと思うけど、全身全霊で褒めてます。
終わって、ほぅって息吐いて、パンフレット開いたらメインテーマの歌詞がちゃんと載ってて泣いた。ありがとう、ありがとう。
供養おわり
本文が短すぎてなんにも伝わってないと思うけど、こうしてテキストが残っているのでなんとなく記憶に残っている演目。
いまはもうパンフレットも実家に置いてきてしまって手元にないからほとんど思い出せないけど、昔の失敗とか忘れておきたい思い出とか、そういうものをほじくり返されるみたいな居心地の悪さを感じるとてもいいお芝居でした。
褒めてるんだよ。