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気付けばハマる、そこは沼。劇団☆新感線を中心にお芝居について好き勝手書き連ねる場所。

観比べスリルミー2021 松岡×山崎ペア

マチネで成河福士ペアを観た3時間後にソワレで観た松岡山崎ペアの感想エントリ。

ほんとは5/1を観てから書きたかったのだけど、そういうわけにはいかなくなったので頑張って書きます。

差分にぶん殴られましたよ!!!!!


3年前の松下柿澤ペアの、もはや朧げな記憶との比較も出てきます。みんな違ってみんな良いなあとニコニコしながら差分を楽しむエントリです。


とりあえずひとつだけ言えるのは、スリルミーでマチソワなんかするもんじゃないよ!!!!!

(体力と気力と記憶が保たない)



お巡りさん、こっちです!

なんかヤベェ人がいます!!!!!
って気持ちになった松岡私19歳。

狂気を隠す気が全く無いな?????


2018成河私の狂気だだもれ19歳も大概だったと思うんですけど、松岡私はさらに上を行くとんでもねぇ奴だった。

初見スリルミーが2018松柿ペアだったので…私ってもっと普通を装える人だと思ってたんだけど…

松岡私、絶対周りから避けられてるタイプだと思う。ちなみに松下私は話しかけられれば愛想が良くて、成河私は話しかけられても相手にしてなくて、松岡私にはそもそも誰からも話しかけられない。


山崎彼と再会した瞬間からもう完全に目がイってるし、抑えきれない彼への感情が声のボリュームに出てるし、言い募る勢いがあまりにも前のめりで、まだ何も事件起こしてないのにお巡りさん呼びたくなるくらいヤバい。


歌い始めたら、憤りとか、もどかしさとか、そういう感情が声からどんどんあふれてこぼれて、オーバーフローした感情に歌声が追いついていませんが??!?!?!

歌声より声色に感情が乗る感じ、この人ストプレでもう一回観たいなあ〜!!!と思わされますが、とりあえずめっちゃ怖かった松岡私。



狂気と正気の逆転

松岡私の最大の恐ろしさ、狂気と正気の発出が、我々の感じる普通と逆だってところなんですよね…


いちばん狂気を振り乱してるのが19歳登場シーン。本来なら最も純粋で、圧倒的に彼のほうが優位であるはずの出だし。

「待ってたよ!もう来ないかと思ってた!」の勢いがもう怖い。

座席がね、あのほら、左右の一段上がってるとこ。あれの舞台下手側だったんですよね。松岡私が詰め寄ってくる延長線上にわたし。圧がすごい。

山崎彼、毎回あのテンションの松岡私に会ってよく平然としてられるな…って思った。


そんで、100分のうちいちばん安らかに、穏やかに、冷静に話すのが護送車の中なんですよね。

知ってたよ。君がそうするって分かってた。これで君は僕のもの。


いや、逆でしょ??????

ストーリー的にはここで私の狂気が明らかになって、彼が衝撃を受けるラストシーン。

私のほんとうの狂気が露見するシーンなのに、いちばん「普通」なの怖すぎる!!!

えっ、なに?どういうこと?ストーリーも展開も歌詞まで知ってるのに大混乱ですよ。

松岡私、なんでそんなことに???


私って、総じて情緒不安定ぎみ(に見せてる)だけど、松岡私、感情の振れ幅が大きすぎて、こっちはもう身を任せてぶん回されることしかできない…

マチネで観た「成河私に出会ってしまった福士彼」も相当かわいそうだったけど、「松岡私に気に入られてしまった山崎彼」は本当に不憫。



山崎彼があまりにも19歳

そんな山崎彼。キャスト陣の中で唯一ノーマークだった山崎彼、クリーンヒットです!

等身大の19歳感がめっっっちゃよかったんですよ…

ほんとに…いい具合にイキってて、いい具合にプライドが高くて、いい具合に未熟で…(全部ほめてる)


完璧な「超人」の彼ではなくて、「超人」という概念を利用してわがままを通そうとしているというか、そこに見える幼さというか、なんかとにかく等身大だった…


知ってる?「死にたくない」のあと、後ろ向いて三角座りする山崎彼、左腕を口に押しつけて、声を殺してずっと泣いてるんですよ。暗闇の中で。


プライドが高くて知能が高くてトラウマを抱えた自信家な男がボロボロになるのに弱い。

福士彼より柿澤彼が好みだったのも同じ理由だったな。

完璧っていうより自信家な彼の方が好みです。とか言ってるけど、新納彼を観たわたし、生きてますか…?(執筆時はもうにろまり観劇後です)



几帳面か神経質か?

マチソワで実感した各ペアの比較をひとつ!基本的にみんな違ってみんな良い精神だよ!

あのね、まずね、マチソワでぶん殴られた差分、成河私は几帳面で、松岡私は神経質なのがめちゃくちゃ刺さりました!


成河私はバードウォッチングのメモの取り方も、メガネの掛け方も、座った時の足の揃え方も、すごく几帳面。

キッチリ、キッチリしてる。靴脱いだら福士彼の分までキッチリ踵から爪先までピシッと揃えて並べてあげそうな感じ。ついでに泥汚れも拭いてあげる。

とはいえ福士彼も、リュックにロープとかハンマーとか仕舞うときにキッチリ仕舞ってたのでわりと几帳面だと思います。成河私が揃えるって分かってるからわざと揃えないだけで、靴も綺麗に脱ぐ。


松岡私は、わりと大雑把なんですよね実は!でもめちゃくちゃ神経質。イライラしてそう。バードウォッチングの時、めちゃくちゃ右肩上がりの字を書いてそうな感じ。(成河私はキッチリ四角い教科書みたいな字を書く)

靴は2人分、床のタイルの目地に合わせて揃えようとするんだけど、綺麗に揃える前に彼に意識を持っていかれて中途半端に踵とか揃ってない感じ。

そんで山崎彼は見たまんま雑なのがいいぞ!ロープとか適当に突っ込む感じ、とてもいいぞ!!!!!


ちなみに2018の松下私は几帳面というより優等生だった。「きちんと育てられた、いいとこの坊ちゃん」感がすごい。

柿澤彼もいいとこの坊ちゃんなので、そんなに雑じゃないけど松下私ほどでは無いって感じ。ここは2人とも靴はちゃんと自分で綺麗に揃えそう。


ねえ、この勢いで田代新納ペアも書いていいですか?

無頓着な田代私とていねいな新納彼という新しい組み合わせを知ってしまったわたし、ちょっとしばらく立ち直れない。

ここはあれだよ、2人とも自分で揃えるけど、新納彼のほうが綺麗にピシッと揃ってるやつだよ。身だしなみにめちゃくちゃ気を遣う新納彼…もうむりだ。(にろまり分のレポでちゃんと書きたい)



99年は必然

松山ペアを観て知った1番の衝撃が成福ペアの特異性だって話をします!!!!

っていうか成河私の特異性かもしれない。

マッチを取り出すタイミングと、ハンカチを差し出すタイミングが天才なんですよホントに。


19歳冒頭、公園での再会時にに「火持ってるか?」って言われるやつ、松岡私も田代私も、彼が持ってない素振りをしはじめた途端スッとマッチ出すんですよね。

それだけでもう、わかるじゃん。十分じゃん。


成河私は彼が煙草を出す瞬間からもうマッチ差し出してるんですよ。彼がマッチ持ってないことすら予測してる。

だからあのマッチ差し出すシーン、成河私だけめちゃくちゃ「待ち」の時間が長いんですよね…


そんで契約書に血のサインをしたときはさ、私ってハンカチで拭くじゃん指。

成河私だけ当たり前のようにピッタリのタイミングでサインし終わった彼にハンカチを差し出すし、彼も当たり前のようにそのハンカチで指を拭く…

成河私と福士彼にとってはあまりにも自然なやりとり。私と彼との日常。なぜ他のペアには無いんだ…


でもこれ、つまり、福士彼が気付いていないだけで、成河私は最初から常に彼の一歩先を歩いてるんですよね。

成河福士ペアの99年は必然なの…最初から明示されてる…


なのに松岡私が護送車で「普通」「当たり前」の姿で穏やかな微笑みを見せつけてくるもんだから、ウワー!おまえたちの99年も必然だー!!!!と暴れ出したい気持ちになる。



生の暴走、若さの暴走

松岡山崎ペアの話に戻りますわよ。

成河福士ペアのキャッチコピー「資本主義の病」が「ほんまそれ」すぎて、松岡山崎ペアもキャッチコピーに思いを馳せながら観ました。

このペアだけさあ、2つあるじゃん。山崎彼の「生の暴走」と、松岡私の「若さの暴走」がダブルコンボ決まってしまったから、あんなことになったのでは?と思いました。


山崎彼にとってニーチェの思想は信念でもなんでもなくて、遊んでた女の子たちと一緒、手段の一つにしか過ぎない。

女の子にこんなに求められている。弟よりも、自分のほうが価値がある。

自分は超人だ。弟よりも優れている。でも超人は社会の枠で測れないから、この社会で認められないのも仕方がない。


自分が弟よりも優れているのだという正当性を示すために、超人思想に、藁にもすがる思いで掴んでるんですよ…

そうしないと居場所を失って壊れてしまうから。


他ペアの「彼」たちは、最終的にたどり着いたニーチェに「答え」を見出した感じなんですよね。求めていたのはこれだ!ってピッタリはまった感じ。

でも山崎彼はなんか違う。どこか、こじつけてる感じ。必死なの。19歳の山崎彼、幼くて、浅はかで、あの家で生きていくのに必死なんですよ。

めちゃくちゃ推せる。


がむしゃらに生きていただけの山崎彼、ほんと、暴走してしまっただけで、山崎彼にとって99年はぜんぜん必然じゃなかったんだよ…


はい、99年を必然にしてしまったのは松岡私ですね!!!

必死に生き残る術を探してもがいている彼の隣で、そんな事情はお構いなしに自分の欲望を満たしに行く松岡私。怖いよ。


山崎彼が必死でしがみついている居場所を、その存在まるごと奪って自分のものにしてしまった。

弟は生きていて、自分は犯罪者となり、完全犯罪すら成し遂げられなかった「超人ではない彼」は、もう二度と自分の居場所を手に入れられない。

しかも追い討ちをかけるように「私こそが超人」でしょ?絶望しかないよね…


松岡私には山崎彼の「生の暴走」がきっと見えていなくて、そんなに必死だと思ってないんだろうな。彼がそう見せてないから。

だから、褒めてもらいたくて、こっちを向いて欲しくて、自分の凄さを認めて欲しくてネタばらしする。

ほんと、若気の至りだよね…あれ黙ってれば、彼ももう少し生きてたんじゃないかしら…とさえ思う。


いちばん実年齢が役に近いペア、やっぱりリアリティのある、というか、生々しい芝居にはまた違った面白さがあるなと思いました。若いってすごい。

とか言いながら、45歳ペアを見た未来の自分、生きていますか???(にろまりエントリへ続く)



お話しします できる限り

みんな違ってみんな良い精神のスリルミーレポ。

ちょっと成河福士ペア成分が多かった気がしますが、松岡山崎ペアめちゃくちゃ良かったし何回でも浴びたい。


そろそろ記憶が薄れてきますので、はやく最後のペアまでちゃんと仕上げなくてはなりませんね!

個人的にめちゃくちゃ衝撃を受けたにろまりペアの話、残しておきたいのでがんばります。できる限りで。


観比べスリルミー2021 成河×福士ペア

わたしこのペアほんとに観たことあった???ってくらい3年前と全く違ったスリルミー4/7成河×福士ペア。

友人を2人ほど成福スリルミーに勧誘したんですけど、初見このペアで大丈夫か???とちょっと不安になっている。なんだこれは???


3時間後に松山ペアを控えていたので大急ぎでメモを取ったエントリです!



資本主義の病

インタビューも前情報もほとんど入れずに迎えているのので、今ペアのテーマ「資本主義の病」は、フォロワさんから終演後に教わりました。

確かに愛の話ではなかった。


ねえ、愛、影も形も無かったよね???

人間らしいところとか、思いやりとか、そういうのがスッパリ抜け落ちててびっくりしちゃった…


3年前の成河私はもう少し福士彼にこっちを向いて欲しがってたし、3年前の福士彼はもう少し成河私への愛着があった。と思う。少なくともお互いに向けるベクトルがあった。

あったよね???

今回あまりにも無くて、自信無くなってきた…


今回は2人がそれぞれホントに自分のことしか考えてなくて、コレが契約に基づいたお互いに対等な立場の関係ィ〜〜〜〜!と思いました。

ほんとにずっと一緒に過ごして来た幼馴染なんか????ただのビジネスパートナーでは???


契約に基づいて、自分の利益のために謀り動く2人を描いて「資本主義の病」って名付けるの、あまりに「そう」なので「そうです!!!」としか言えない。



やさしくない炎

わたしの大好きなやさしい炎、ぜんぜんやさしくなかった!(すきです)

やさしい炎を聞くためにスリルミーを観ていると言っても過言ではないくらい好きなんですあの曲。

ハープみたいに転がるピアノも、オクターブで響く伴奏も、静かな彼のソロも、燃え上がるデュエットも。


しかしまあ、今回は恐ろしくお互いを見てなかったね…前回も「お互いのこと見てない」って感想レポに書いてるんですけど、今回はさらに輪をかけて2人とも燃え上がる炎しか見てなかった…


あんまり公式解釈は読んでないから独断と偏見の話なんですけど、個人的にはこの話の根っこが「やさしい炎」にあると思ってて。

ここをどう表現するかが物語のキーになってると思ってるんですね。勝手に。

だから今回、3ペアの聴き比べがめちゃ楽しみだったんですよ。


そしたら成福ペア、あまりにも自分勝手じゃん…

福士彼は火への前のめりな執着が増してたし、成河私は彼への重すぎる執着(愛では無い)が増してた。

福士彼が炎を見つめる恍惚とした表情、めちゃくちゃサイコーだったけど、このひと隣に(腕の中に)いる成河私のことを何だと思ってるんだ?抱き枕か?


成河私は成河私で、福士彼のこと一切見てなくて、福士彼を興奮させている(自分より上位の存在である)炎を観察しながら、どうすれば福士彼を手に入れられるかめちゃくちゃ考えている顔をしていた。


お互いのことをもうちょっと見なさいよ。



福士彼の空回り

今回いちばん驚いたのが、福士彼もちゃんと未成年の19歳なんだなあと思えたことです。

前回は、めちゃくちゃ落ち着いていて、頭脳明晰で、キザっぷりが似合いすぎで、圧倒的に成河私を振り回している、ように見えた。


でも今回は確実に成河私に振り回されていた。

狼狽える成河私に一瞬つられて動揺して、予想外の反応に狼狽えて混乱して。彼ってこんなに脆くてちっぽけな存在だったっけ?って。


コンプレックスがめちゃくちゃ全面に出てて、自暴自棄具合がすごいんですよ…めちゃくちゃ可哀想なの…同情しそうになる…

2018で感じた「チラッと見えるコンプレックス」のレベルじゃない。もうね、コンプレックスの塊が歩いてる感じ。


イライラして、心ここに在らずで、表情がなさすぎて…2021福士彼、情緒が不安定すぎる。

氷に閉ざされた彼の心、何にもピクリとも食指が動かない感じが心配になりますね。


それなのにさあ!

「スポーツカー」ではめちゃくちゃお兄ちゃん感出してくるやん?!あれずるくないですか??

あの、年下を転がすのにこなれた感じ、福士彼ならではだなあと思います。

弟にあれだけコンプレックス持ってる兄が「兄」を演じなから犯罪を犯すの、心から「犠牲の羊」って感じがするので、福士彼の「スポーツカー」がいちばんぞくぞくします。



成河私の「幼さ」

3年前とは違って53歳になっても足を引きずってなかったんですけど、そんな差がなくても一瞬で年齢がわかるの毎回すごいなって思う。

私はもれなくみんなそうなんだけどさ…


とりあえず成河私に聞きたいんですけど、今回めちゃくちゃ演技の(私が彼に向けた演技の)振れ幅がすごくなかったですか?4/7回だけ?


わたしは、やさしい炎で「幼い」って言われるレイの幼さは、世界の狭さだと思ってたんです。

ずっと同じでいられると思っている、ピーターパンシンドローム的なところを幼いって言われてるんだと。

でも今回の成河私、シンプルに幼女でしたよね?4/7だけ?


めっちゃ媚びてるっていうか、ねえ?

怯え方とか、驚き方とか、ねっとりした声色とか、とにかく女子の集団の中にいたら「なにあのぶりっ子」って言われる感じ。

あんなわざとらしいのに、男子はなんで気付かないわけ?って言われるやつだよ。聞いてるか福士彼。

彼に対して演技してるんだなって、とても分かりやすい「私」だったなあという印象。


福士彼が「弟」ってワードが出るたびに極度にイライラするの分かってて、何度も何度も「弟に聞いた」「弟が」って話題に出す私、幼女のくせに鬼畜すぎたな…



何でもしてあげるね

これ書いてるタイミングでは松岡×山崎ペアも見終わっているんですが、やっぱり成河×福士の「僕と組んで」が好きすぎるんですよね。


というか、ここだけめちゃくちゃ人間味の応酬じゃん…(諸手を挙げる)という感じです。

ぶりっ子じゃない成河私と、余裕ぶってるけど焦りが隠しきれてない福士彼。ここではじめて両者の感情のバランスが一致した気がするよ…

まあこの成河私の人間味すら演技かもしれなくてわたしは震えているわけですが。


2018から成河私への言及が多すぎるんですけど、福士彼からもそこそこ被弾していて、でも言語化できないまま、もやもやっと印象に残っている。

「なあ、レイ」って呼びかける福士彼の福士彼たるところがめちゃくちゃ好きで、たぶんそこにわたしの好みが詰まってるんだろうけど、うまく言えない。


人を食ったような、レイに対して何の感情もないのに「レイ」の2文字に言外のあらゆる感情を詰め込んでくるあの感じが、2018年は「福士彼ずるくない?」と思ったんですよ。

2021年は…そう言わされてる福士彼、可哀想だなって…強すぎる成河私に出会ってしまって可哀想だなって…



成河私53歳と仮釈放

仮釈放へのテンションというか、各ペアの私が「なぜ仮釈放請求を行うのか」については、しっかり考えたい事案なんですよね。まだあんまり考えられてないけど。

日本の法律をざっと流し読みしただけの浅い知識なんですけど、有期刑の場合は刑期の3分の1を勤めないと仮釈放申請できないらしい。

ということは、逆に言えば仮釈放申請できるようになったら速攻で申請したってことでしょ?

家族が申請したとしても、ある程度本人にも意思が無いと、5回も審理受けるの無理じゃない?4回ダメで、それでもまだ申請するんだよ?


2018成河私は、外で何かやりたいことがあって、外へ出たいという気持ちで審理を受けていたと思ってます。

中にはもう居ない彼に会うために、ただそれだけのために仮釈放を望んでいた。最初から最後まで望みはただひとつ。彼と一緒に居たかった。


でも2021成河私は、中で生き続けるのが嫌で逃げるような気持ちに見えました。

彼が居ない世界に絶望していて、「ここじゃ無いどこか」へ行きたい感じ。彼の居ないこの場所から抜け出したい。

死にたいという考えが、前回よりも増してたように思えました。


2018は、外へ出たら彼に会える(概念としての話ね)と知ってて仮釈放されたけど、2021では外へ出るタイミングではじめて彼に会えることを知ったようなイメージ。

「…じ、ゆう?」という訝しむ呟きには、彼の居ないこの世界に自由なんて無いのに何を言っているのか、という狂気を。

「……所持品…」という小さく早口な呟きには、思わぬ希望を見つけたような、気持ちが急いているような、そんな様子を。

あの、たった二言で、私の世界が変わる。

30年を超える監獄での生活から、外の世界へと。

彼の居ない世界から、彼と再会する世界へと。


このへんは脚本演出がめちゃくちゃすきです。

仮釈放のテンションの話はこれ以上掘り下げ無理です。


と思ったけど、終演直後に死に物狂いで打ち込んだメモが出てきたので供養しておきます。

「待ってたよ。死をもって永遠に彼を手に入れる瞬間を。」

うん。ちょっと、3ペア全部観てからもう一回考えます!!!



その他ここがすき!

スライドする床

床の動きと一緒に年齢が徐々に変化していく感じ、いつ観ても信じられない。

暗闇の中で、台詞も大した動きも無いのに、30年の時空を行き来する私、絶対オペラで抜いちゃう。



福士彼のカーテンコール

カーテンコールで奥に下がるとき、梁に手を添えて首を傾げながら降りていくのが好きすぎる。前も言いました。

ねえ、福士「彼」が奥に下がっていくとき頭ぶつけないように首をくいと傾げるの、最高じゃなかったです…?知ってる?あれ別に普通に歩いても頭ぶつけずに通れるんだよ…カテコで一回だけ普通に降りて行ったのちゃんと見たんだからな!そういうとこ!ずるいぞ!(好き)



さあ、何が知りたい?

もたもたしてる間に、田代×新納ペアの観劇が近づいてしまったので畳みます。

今回は私生活のバタバタで、各ペア1回ずつ+松岡山崎ペアのみ2回目のみなんですけど、もう1回このペア観たいなあ。

カメラ入ったって聞いたので、ほんとうに心からCD化してほしい。円盤化してくれるのも嬉しいけど、家に居なきゃ観れないから、持ち運びスリルミーしたいよ…

処理落ちした感情を1つずつ片付ける【ぎふと朱雀】

ほんとは今回もう書かずに終わるかなと思ってたんですけど、書くというより、残しておかないとって気持ちの方が大きい。

レポでも感想でもなんでもない、ただのお気持ち表明ですよもう。終演後にあんまりみんなでぐだぐだ出来ないこのご時世、お気持ち表明くらいしないとやってらんねえよ。


ほんとに自分で自分の感情を処理するためにお気持ち表明するだけのエントリです。未来の自分のために書いてる。





処理落ちした

なんでこんなエントリ書く羽目になったかって、27日の千穐楽が終わって16時に会場出てから18時回るまで、何一つ言語化できなかったからです。

17時過ぎてからようやく発した一言目が「今日、よかった」ですからね。幼稚園児か。


いろんなコマンドが同時多発的に発生していて、完全に脳が処理落ちしてた。

再起動にも時間かかるタイプのやつ。アップデートしてなかったからね最近…

当たり前だけど、27日以前の公演もサッパリ処理できてない。


ひとつずつ整理してアウトプットしておかないと、わたしは岐阜がなんだったか分からないまま終わってしまう。

去年の岐阜もちょっと自分でわかんないまま当日券で3回入ったけど、エントリが残ってるから辛うじて認識できてるとこあるよね。

だから書きます。未来の自分のために、いま残しておかねばならぬ。


でも何でこんな処理落ちしてんのか、ずっとわかんなかったの。

遡ってみたら、去年も岐阜エントリの最後にも同じようなこと書いてんですよね。

dramatic9ri.hatenablog.jp

読み返しても半分くらいしか納得できてないけど。


ほんと、ねえ、あのね、舞踊を浴びると脳が溶けるんですよ。

溶けてて言語化出来ない間に、次の公演が始まるから、何もわからないまま、また溶けんの。


周りのベテラン朱雀オタクたちが被弾する弾と、わたしが被弾する弾は、たぶん圧倒的に違うんだよね。

去年初めて観たビギナーなんだから当たり前なんだけど。感想聞いててもついていけないあるある。当たり前だよ。

でも肝心の、わたしか被弾してる弾がいったいどこから狙撃されてるのか最後までぜんぜんわかんなくて、いつも朱雀を観ると気が付いたら死んでる。


さすがにこんなに観てんのに「なんかわかんないけどすき」って言うの、悔しいし寂しいじゃん?!

珍しく「通いたい」と思うほど朱雀の公演を観たいと思う、その理由をがんばって自分なりに解釈するよ!っていうだけのエントリです。



早乙女友貴の舞踊を浴びたい

去年の復活公演から今年までの間に明確になったのは、わたしはやっぱり動いている早乙女友貴が見たくて岐阜に通っているのだということ。

これだけは間違いない。


コンディションがどうとか、メイクがどうとか、どの演目だとか、そういうのじゃなくて、とにかく音に合わせて身体を動かしている早乙女友貴が見たい。

その日の調子がよかろうが悪かろうが構わん。(怪我とか体調のアレコレは普通に心配になるから健康でいてください)

あの足運びがすきで、伸ばす手のかたちが好きで、肩の入れ方、首の傾き、重心の移動、どれもぜんぶ心がギュンとなる。


厳密に言うと舞踊に限ったことではなさそうなんだけど、まあ、おおよそ舞踊です。

演技も普通に好きだけど、早乙女友貴を観るために普通の舞台に通うかと言われたら、ちょっと違う。みるけど。みるけどさ。ちょっと違うんだよ。

でも夜桜お七やるよって言われたらたぶん早乙女友貴を観に行くから、やっばりあのひとの舞踊に含まれる何かに被弾してるんだよ。

たぶん練習風景の動画でもギュンとくる。


ここ数年で歌舞伎を観るまで、身体の使い方の好みなんて考えたことなかったんですよ。あるよねそりゃ、好みくらい。

その好みを解説できるほど詳しくないけど、自分の脳がじゅわっと溶ける瞬間は分かるもん。

早乙女友貴の身体表現を浴びるとわたしの脳が溶けるんだ。


それを浴びるには、いまのところ劇団朱雀に来るしかなくて、できるだけたくさん浴びたいから多ステする。

やっぱり、シンプルにそれが1番の理由なんだよなあ。



早乙女太一の舞台表現に興味がある

今回の幕引き公演前半戦を経て感じたことは、わたしは太一さんが舞台の上で組み上げる世界観に興味があるんだなあ、ということ。

与えられた15公演、うち配信7公演に、どんな演目を持ってきて、どんな曲をどんな順で並べて、どんなふうに組み上げるのか、そのパズルに興味がある。

(どの曲を過去いつ演ったか知らないので曲への思い入れはまだそれほどないけど)


「他人からの見え方」「自分の見せ方」をあんなに解っている人が、自分の土俵で一体なにを作りたいのか、何を見せたいのか、気になる。

それを見せられた自分がどう感じるのかが、気になる。

インタビューとかドキュメンタリーとかで示される答えというか、言語表現じゃなくて、作品として表出するモノを観たときに、自分の感情がどう揺れるのか、どう揺らされるのかに興味がある。


これ、絵とか写真集とかにあまり食指が伸びないのは単なる好みだと思うんですよね。

私の持ってる受容体の中で現場感度が高めだったのが舞台だったっていう、ただそれだけ。守備範囲狭くてごめん。


フォロワーさんとも話してたけど、今後、早乙女太一が舞台上で何かをプロデュースするなら、それがたとえ朱雀じゃなくても観るだろうなと思う。

舞台上じゃなかったらちょっとわかんない。

とりあえず祐也くんの配信は観ようね!!!



「にんげん」を感じる

早乙女友貴の舞踊がすきで、早乙女太一の表現が観たいって、そんなこたァ分かってるんですよ。それ以上の何かが分かんないからもだもだしてんでしょうが。

でも分かりきったことをちゃんと分類して明文化しないと、そこに取り残されたこのもやもやが何なのか、分かんないんだよ。


あのね、劇団朱雀、めちゃくちゃ「にんげん」を感じるんですよ。生きてる。


同じ演目も振り付けが毎回違うとか、メイクが違うとか、そういうのじゃなくてさ。そういうのじゃないんだよ。

いや待って、そういうのもあります。そういうのの話はちゃんと演目の話のとこでします。


復活公演と幕引き公演と、あとはfinalの映像くらいしか観てないけど、太一さんの作る舞台って、画としての完成度がめちゃくちゃ高いと思うんですよ。

演者が絵画みたいで、世の中にはこんな美しいひとがいるんだなあっていう。

ちゃんと光と影も計算されてて、いちばん綺麗に見える画が演出されてる感じ。

花魁を観た庶民のおばあちゃんが「天女様…」って呟きたくなる気持ち、今ならよくわかる。人間離れしている。


だからこそ、生身の人間を感じたときの「にんげん」具合がほんとにすごい。

あっ、このひとにんげんだ。って、ハッとさせられる。


それをいちばん感じるのは、サスペンションライトが後ろから照らしてるあの光の帯から抜け出て、舞台際まで近づいて来たときです。

幻想的な光のベールから一歩二歩と踏み出して、突然我々と同じ照明の下に照らされる太一さん。

突然襲い来る「にんげん」感。


それから岐阜の3部。あれはなんて言うか、ギリギリのところで生きすぎている気がするけど、人間の限界を試してるみたいな、あの3部。

練習してきた型を披露するんじゃなくて、持てる全ての力を絞り出してるみたいな、苦しくなるくらいの生命力を感じる舞踊。舞踊?あれは舞踊の枠に収まらなくないか?


とにかくその瞬間がたまらなくて、わたしは岐阜に通ってた。映像じゃなくて、その場で、さっきまで私も浴びてた同じ照明の下で生きるひとを見るために。

それって岐阜にしかなかったんですよ。大阪や東京には無かったんです。



朱雀という背景がある世界

ここまで書いて、ようやく先輩たちから言われ続けてきた「人生」とか「ライブ」って言葉が腹落ちしてきた気がするんだよな。

書くって大事。


とっても当たり前のことなんですけど、劇団朱雀って大衆演劇の劇団なんですよね。

いまさら何を言ってるんだ。

そうなの。当たり前なんですよ。でもそれがどういうことなのか、ちゃんと分かってなかったの。


普通の(普通の?)大衆演劇は観たことがないけど、去年大五郎さんがいらしてた岐阜3部とか、ぎふ葵劇場のみなさんの振る舞いとかを見てると、舞台と客席とがほんとに地続きなんだろうなあと想像している。物理的にも、精神的にも。

大五郎さんの舞踊、近い距離で目を合わせて、客ひとりひとりに挨拶するみたいなステージだったもん。

好太郎さん、お客さんにまるで親戚か近所の知り合いみたいに喋りかけてたもん。


長い時間をかけて人生を一緒に過ごして、みんなで子供たちの成長を見守って、声掛けて、またねって笑い合うみたいな、おっきな親戚みたいな。

演者と観客のラインが限りなく曖昧で、ハンチョウがあって、笑いと拍手があって、普段の関係と配役とのギャップをみんな知っていて、初めて完成する舞台。

去年はそれを「吉本新喜劇みたいな」って表現しました。


でもさ、新宿と大阪で演った朱雀は、その「地続き感」があんまり無い世界だったんですよ。

初見のお客さんも多くて、お花タイムもほとんど無くて、ハンチョウは多少かかるけど、我々は舞台を見上げる観客のひとりでしかなかった。

そんで、わたしはそんな新宿大阪の朱雀じゃなくて、ぎふの朱雀に溶けたんですよ。岐阜にしか無い何かがあったの。


太一さん自身が「大衆演劇をベースにして」って表現してたと思うんだけど、ここで言う「大衆演劇」って、ショーの形式でも演目でも3部構成のことでもなくて、なんていうか、きっと大衆演劇の劇団だというバックボーンのことなんじゃないかなあって、いまは思っています。


みんなに見守られながら育ってきたその環境。

昔から一緒にやってて、家族で、そこで生きてきた、その人の人生。

大衆演劇」と名乗る以上、人生っていう背景が、ステージ上にはじめから存在する。

ほんとうの親子、ほんとうの兄弟、昔からの仲間、昨日の演技、最近の体調、そうしたメタ的な要素が、みんな知ってる大前提として舞台の上に横たわっている。

その役が他でもない陽之介さんであることが、それだけで拍手する理由になる。


そういう意味で大衆演劇って、ほんとに他人の人生が織り交ぜられたコンテンツなんだなあ、と思います。

そのひとの過去も、失敗も、成長も、役者同士の関係性も、昨日の芝居すら、これまでの人生ぜんぶが今日の演目になる。

劇団を、その人を、座組みを、知れば知るほど、今日の演目が楽しくなる。

詳しくは知らなくても、嫌でも(全く嫌じゃないけど)目に入るんですもん。背景だから。


新宿大阪の復活公演とか、今回の配信とか、役者単体のネームバリューだけで飛び込めちゃう環境に、「大衆演劇」を持ち込むには、やっぱり色々寄せていかないといけないんですよねきっと。

須賀くんとの関係とか、トミーのMCとか、曲中の合いの手とか、そういうところで少しずつ座組みのメタな知識が蓄積されていって、わたしたちは少しずつ「大衆演劇」に組み込まれていく。

岐阜は、その劇団朱雀という人生の背景がより濃く出せる世界で、だから、ちょっとくらい好き勝手しても、みんながその人の過去と人生と、仲間との信頼関係を知ってるから許される場所なんだよね。

普通は喧嘩してたら止めに入るけど、あの2人はいつもあれだからいいのいいの、みたいなさ。そういう共通言語がある世界。


だから岐阜がすきなんだよお。

自分の人生を背景として背負って、昨日まで、さっきまでの過去すべてと、そこにいる人たちとの関係すべてを「いま」に昇華させながら、目の前で、にんげんが全身で全力で限界まで何かを表現している姿に、惹かれないわけがなくないですか?



結局はじゅわっとしたい

こうやって長々と書いてきて、ようやく自分の中で納得がいった気がする。

というか、ほんとに、今更言語化するほどでもない、何万回も言われてきた結論でしかなくて、ほんとに脳が溶けていただけでは???

特に千穐楽、いろんな好きと心配と驚きとが絡まって団子になって喉に詰まってたよね。


ほんとは理由なんて何でも良くて、脳がじゅわって溶けるような、心がギュンと鳴くみたいな、あの麻薬みたいな感覚が忘れられないだけなのかもしれない。


でも彼らにとって、あそこはなによりも人生で、生きる場所そのもので、あまりにも命を懸けて向き合っているように感じてしまって、だからこっちも、簡単に「綺麗だった」「楽しかった」で済ませるわけにはいかなくて、こんなお気持ち表明エントリが生まれてしまいましたとさ。


なんだかんだ言って、去年のぎふ千穐楽のエントリにも同じようなことが書いてある。

帰り道に同じく朱雀ビギナーのフォロワーと話してたんだけど、岐阜の朱雀、めちゃくちゃ「生きてた」んですよね。完成されたステージを「観てる」というより、彼らの生き様を「見てる」んですよ。

新宿ではいくら客降りがあろうと舞台と客席の間に確かに境界線があったのに、岐阜には境界線なんて無かった。拍手が入る余白を、笑い声が収まる空白を、ハンチョウが飛ぶ間合いを、はじめから織り込んだ構成だったの。板の上と客席の共通認識としてのお約束がいくつかあって、キッチリ踏襲して、客席を巻き込んで進んでいくステージ。

大阪人のわたしはこの構成を知っている。吉本新喜劇と言います。いやほんとに。舞台の構成としてはそんな感じだった。生々しくて、危なっかしくて、でも圧倒的な生命力をもって語りかけてくる舞台。


なんだよ、ちゃんと分かってんじゃん!なぜいつも分からなくなってしまうのか。

それはね、すきなものを浴びすぎて脳がじゅわって溶けるからだね。ポンコツすぎる。


それぞれの演目の話もちゃんと残したくて、でもたぶん日記みたいなバラバラな記述になりそうだから、このエントリの後半にまとめようと思ってたんですけどね。

分かりきったことを言語化しただけで、いつのまにか6000字を超えてしまったので一旦畳みます。


ほんとに未来の自分への処方箋みたいになっちゃった。

次に脳がじゅわってしても混乱せずにこれ読んで落ち着いてほしいな。


【ネタバレなし】両国花錦闘士を現地で観るべき3つの理由

大阪初日が待ちきれずにチケットを取ったライブビューイング。

結論から言うと、はやく現地で観させてくれ。


わたしのTLは初日勢が多いので布教レポは山ほど回ってきたし、いまさらわたしがネタバレなしのレポを書いたところで誰のためのエントリだ?と言う気もしますが、万が一のために書きます。

まだ現地で観られる機会がたくさんあるから、ぜひ現地で観てほしい。

まだ迷ってるひとがここへたどり着いたら、ぜひチケット取って欲しい。

両国花錦闘士を現地で観るべき理由を3つにまとめてみた!(けどその続きで感想も書いてる)





1.寄りの画じゃもったいない

いや、アップを観られるのがライビュと円盤の利点なのは分かってるよ。分かってるけど、両国花錦闘士、とにかく舞台上に出演者がめちゃくちゃ居る!!!


全員並ぶ壮観、インパクト、衝撃、感動、そして漂う祝祭感。寄りの画角じゃやっぱり良さが半分しか伝わらないんですよ。たぶん。(まだ現地で観てない)


全景が見えないの、惜しすぎる。

アップで抜くから表情はよく見えるんだけど、そこは別の人のダンスも観たい。全員で踊る祝祭感を感じたい。


他にも、たぶんこれぜったい引きで観たいやつ!と思う場面がたくさんあった。あの壮観は絶対現地で肉眼で観たい!!!



2.場面転換が最高

1つ目の理由とちょっと被るけど、場面転換、特に人物の登場シーンは肉眼で観るべき!!!だって、大事なシーンで出てくる瞬間、天才的に演出されてる。


セットに投影された映像とリンクしてたり、セットの転換と同時に奥から登場したり、とにかく場面転換の演出が天才なんだ…

カメラのアングルじゃ映りきらない、あの、板の上の世界観がもっと観たい。


なんていうか、空間が広すぎるんですよね。

照明もセットも映像も、左右から天井まで、舞台をめいっぱい使って演出してる感じ!照明も天才すぎたから2階席から俯瞰でも見てみたくなったよ…



3.客席と一体化する熱量

なんだろうね、あの熱量。画面越しにでもぼんやりと感じる気迫。舞台はナマモノってよく言うけど、ほんとに空気が生きてるみたいだった。


自粛明けに観た浦カチでも思ったんだけど、演劇って五感ぜんぶを捧げて楽しむエンタメだから、基本的に現地の空気を感じに行くわけなんだけど。

Thrill meの衣擦れひとつ立てちゃいけないような緊張感とか、歌舞伎で大向こうを張るギリギリ直前で溜める盛り上がりとか、そういうナマの感覚ともまた違って、両国花錦闘士には熱量があった。


どちらかと言えば、岸和田のだんじりみたいな、リオのカーニバルみたいな、現地でその場に立ち会うことに意義があるタイプの熱量。

なんだろうね。観たことないけど、現地で格闘技を観るのって、やっぱりこんな感じなのかな。相撲という格闘技が発する熱量を、この舞台も発してるのかもしれない。


そして、その熱に浮かされたように客席が生きている!!!

演劇は客が入ってはじめて完成するってよく言うけど、まさにその通りなんだろうな。客との掛け合いは一切無いのに、最初から最後まで画面の外、客席から鳴り響く手拍子がこのお芝居を祝福していた。

私だって手拍子したかった!!!!!



両国花錦闘士のここがすき

ここから独断と偏見の感想レポです。

引き続きネタバレはありません!



相撲とエンタメと脚本

脚本は「カチカチ山」で私の安心と信頼を勝ち得た青木さん。原作読んで無いけど原作ご存知のみなさん、評価どうですか?!

未読組からするとめちゃくちゃ良いです!


正直、相撲なんてぜんぜん知らん。

いやほんとは、ちょっと縁あって勉強したことあるんだけど、興味なんて全くなかった。


それがどうでしょう。

相撲、めちゃくちゃ面白そう!!!!!


ハッピーおばかミュージカルで踊り狂ってたはずなのに、いつのまにか我々には相撲の基礎が叩き込まれてた。

ちゃんとエンタメを楽しんだのに、めちゃくちゃ相撲に詳しくなったし、もっと知りたくなった。


詳しいところはネタバレのエントリで書くけど(ライビュなのにもう一本エントリを書く気でいる)とにかく本筋の後ろに、ちゃんと、背景と前提と知識と補足を、さりげな〜〜〜く配置してくれる青木脚本、まじで信頼できるなと思いました。

もっと書いてくれ!!!


ちなみに日本相撲協会のコンテンツ「相撲のいろは」がめちゃくちゃわかりやすいので、両国未履修組も履修組も読んだらいいと思うよ!

http://www.sumo.or.jp/IrohaKnowledge/sumo_history/www.sumo.or.jp



原嘉孝という俳優

原くん、あまりにも輝いていた。

私は原くんの担当でもなければ、Jファンでもない。彼の芝居を追っていたわけでも無い。でも今回の主役抜擢のいきさつとか、フォロワーさんのツイートとかで、なんとなく肩入れしている自覚はある。

ただ、そんなどころじゃなかった。


2年前、メタルマクベスで観たとき、成長著しい子だなとは思った。思ったよ?

でも2年後に明治座の真ん中でスタオベを誇らしげに眺める看板役者になってるとは思わないじゃん?!?!


TLでずっと「演劇の神に愛された男」と言われ続けていたけど、原嘉孝、ほんとうに神に愛されていた。

これが原くんのために書かれた役じゃないってマジ?!こんなハマり役ないよ!!!


原くんはやせ型の力士、つまり筋肉質な力士の役なんですけど、マジで身体が出来上がってた。

しかも何がすごいって、元の配役では相撲取りじゃないんですよ。

1ヶ月前まで相撲取りの役じゃなかった=裸になる予定じゃなかったのに、相撲取りとしてあれだけ鍛え上げられた身体を全国に披露できる原くん、まじで信頼できる役者だなと思いました。


カーテンコールでは役から離れた純粋な表情が印象的だった。

袖に下がる直前、キラキラした瞳で、ひろい明治座を見渡して、上階の奥まで目線を送って、すう、と息を吸い込んで、姿勢を整えてから深々と頭を下げて、それはとても長い時間で、しっかりと舞台と観客に感謝を示して去っていった。

なにそれ推せる。

めちゃくちゃ誠実で、めちゃくちゃ全力で、ひとつひとつの芝居を、一瞬一瞬を、すべて逃さないかのように、全身で受け止めているように見えた。


原くんは私にとって、もう所属とか関係なく一人の役者だよ。今後も板の上で輝いてくれ…



脇役の居ない世界

普通、舞台にはたくさんの「アンサンブル」が居る。名前のない役を何役もこなし、板の上に「人々」を生み出す重要な役。

でも、両国花錦闘士にはアンサンブルがいない。

わらわらと出てくるお相撲さん全員に名前があり、セリフがあり、なんなら持ち歌すらある。


総勢24人の登場人物、一回観ただけでほとんど全員わかるって何事???サイコーすぎんか???


ここまで書いて、パンフレット開いて、配役表みて、天を仰いだ。

全員に役名ちゃんと付いてる。

よくある/で区切られた複数役じゃなくて、「その人の役」が書かれてる。

最高か…


両国花錦闘士は、24人全員いないと成り立たない舞台なんですよ。たぶんカンパニーの人数を極限まで減らしてもこの人数より減らせないと思う。

それくらい、一人一人に役が与えられてる。

全員が、生きてる。


最近「生きてる」コンテンツに弱い。

シナリオのために生かされてるキャラクタじゃなくて、生きてるキャラクタの人生の一部を垣間見てるようなコンテンツがいい。


だから両国花錦闘士は、めちゃくちゃ良い。



まだ現地に行ける!!!

まだ現地行くチャンスあります!!!

しかも座席が選べるよ!!!

東京のひと、大阪のひと、福岡のひと、行こ!!!


ハイ、明治座!(東京)

web.meijiza.com


ハイ、新歌舞伎座!(大阪)

shinkabukiza.pia.jp


ハイ、博多座!(福岡)

hakataza.e-tix.jp


もう一回言うね。座席選べるよ!!!



これ書くために有給取った

今週どこかで休み取らなきゃだったんですけど、絶対レポ書きたくなると思って翌日休みにしておいてよかった。

すごい満たされた気持ちで有給を過ごしました。


だって両国花錦闘士、普通の演劇だったんだもん。

「この情勢だからこその」とか「この機会に新しい形式に挑戦」とか、もちろん大切だし面白い試みだしめちゃくちゃ楽しいし、もっとくれ!と思うんだけど。

この状況すらエンタメに変えてしまうの、サイコーに素敵なんだけど。


それはそれとして、今まで通り、ただ楽しむために、何も考えずに浴びるエンタメを(画面越しだけど)全身で浴びたの、すごい元気になった。


今年の冬は、手洗い、マスク、両国花錦闘士。

みんなで健康になろ!!!!!



おわりに

もちろん外出控えたり、食事控えたり、いろんな対策をすべきだよ。観客としても、観に行く以上はそういうのは当たり前にするべきだと思うし、どうしても行けないひとがいるのも分かってるし、そういうひとたちのためにも、円盤になればいいなとは思ってる。

こんな、当たり前で野暮なこと、注釈付けなきゃいけないご時世なのが悲しいけど、一応ね。 

自粛期間と浦カチとわたし【浦島さんとカチカチ山】

世の中は両国花錦闘士に踊り狂っている今日このごろですが、先日、獣道一直線!!!を観た帰りに、なんか書かなくちゃいけない気がして、なぜか2ヶ月前の浦カチを振り返ることになってしまいました。

獣道の話はあらためて書く。たぶん。短くても書こう。いまはとりあえず浦カチをまとめる。

ちなみに令和版にせつねの書きかけエントリも3本眠ってる。

永遠にレポが現場に追いつかない。





現場が無かった半年のこと

ちょっとどうしても最初にこの話をしないと、エントリ再開できないなって思ってて、この話をするなら浦カチエントリだったんですよね。

完全に個人的な話なので、飛ばしてもらって大丈夫です。


ステアラ以前は年にせいぜい3〜4作品の観劇のペースだったし、半年空くくらいどうってことなかったんですよ。そのはずだった。

今回はほんとに現場が無いのがしんどくてしんどくて、何が堪えたかって言われたら、よくわかんない。

なんだろう。存在するはずだった芝居が消えてったことなのかなあ。

めちゃくちゃ楽しみにしてた中島かずきの新作・神州無頼街が、かなり早い段階で無くなったのがダメ押しだった。


夏に東京で少しずつ芝居が再開しても、関西にはほとんど戻ってこなかった。歌舞伎座は開いても、松竹座も南座も開かなかった。

そりゃそうだよね。だって役者は軒並み東京にいるんだもの。地方の弱みを感じた。


代わりに配信作品が増えたものの、「映像を観る」ってのがどうしても苦手で、配信も録画も円盤も、結局あんまり観られなかった。

昔から、ドラマもアニメも、続きものの映像作品はめったに最後まで追えない。

映画館でなら何時間でも観られるけど、家では集中して観ていられない。本なら何作品でも続けて読めるのに、アニメ化すると観られない。

ほんと、家で画面に集中するの苦手なんです…なんでだろうね…


だから芝居がすき。

会話も、仕事も、通知も、生活から断絶された世界で、有無を言わさず五感ぜんぶで目の前のエンタテインメントを受信させられる環境だから。

あんなに五感フル活用することなんて日常で滅多にないから、現場で芝居を観てると心から「生きてる」って感じがする。


めちゃくちゃしんどかったこの半年、自分にとっての観劇体験が一体なんなのか、考え直す機会になりました。決して「良い機会」ではなかったけれど。


だから浦カチが決まったとき、この作品は絶対に現地で観る作品にしようと思った。配信で観ずに、ちゃんと現地で五感使って浴びようって。

まあ、仕事のイベント時期と完全に被ったので、日程としては一択で危なかったけどね!チケット取れてほっとしたよ!

結局夜に別現場も突っ込んで、go to使って1泊2日、3本ハシゴした弾丸TOKYOになりました。
(東京に芝居を観に行くと大抵弾丸になる)


長くなったけど前置きおわりです。

お付き合いありがとうございました。



浦島さん

さあ!浦島さんだよ!!!

こんにちはわたしの苦手な倉持脚本!!!



五感で観る芝居

客席に入ったら、独特の音の響きと、音楽と、照明と、そういうのを肌で感じて、席に座っただけなのに泣けてきた。

始まったらシャボン玉が飛んできて、スモークが流れ込んできて、やっぱり五感で楽しむお芝居めちゃくちゃ楽しい〜〜〜!!!


そもそも良席だったし、あんまりオペラで抜くようなシーンも無かったけど、乙姫の衣装とネイルはガン見した。ネイルがさあ、ラメラメしててキラキラしてて、めちゃくちゃ乙姫で可愛かったんだよお。


あと福士蒼汰のメイクも抜きました。いのうえさん、福士くんに青シャドウさせたい芸人か?似合うよ!!!



脚本とは仲良くなれなかった

良いところは後で書く。


わたしと倉持作品、相性がすこぶる悪い。

乱鶯がぜんぜん楽しめなくて、けむりの軍団は(めちゃくちゃ楽しんだけど)脚本とは仲良くなれなくて。

でも今回は会話劇だろうから期待してたんですよ。きっと、大味エンタテインメントよりもソッチが得意分野なんだろうって思って。

結論、やっぱり仲良くなれなかった。


原作読んでから観たんですけど、なんていうか、原作変えるなら変えるで、変えた意味が欲しかったな…

けむりのエントリでも「物語の筋が先にあって、筋に都合がいいようにキャラクタとか設定とかを動かしてる」って書いたんですけど、うーん、やっぱりそうかあ、という気持ち。


短い原作を最低1時間の芝居に膨らませるのに苦労したってサイトに書いてたけど、各シーンの会話量が増やされてて、でも伸びた箇所に付加価値はあんまり感じられなくて、観劇しながら「脚本家、苦労したんだろうな」って思ってしまったのはちょっとがっかりした。

決めたゴールに向かって組み上げていく作風なのかしら。うーん。

でもまあやっぱりこれも原作ありきの作品なので、ちゃんと彼のホームグラウンドで観てから判断しなきゃだめだなとは思ってます。思ってますけど、今後も警戒はします。



三人で演る二人芝居

楽しかった話をしようね!!!!


三人芝居といえば、ずいぶん前に三谷幸喜の「ろくでなし啄木」を観ました。三人の掛け合いと二人になった時の駆け引きがめちゃくちゃ楽しかった。

浦島さんも三人芝居だけど全然違って、こっちは三人で二人芝居をしているようなイメージ。

ギリギリの情勢下で再開するために、最大限距離と安心を確保したんだろうなあ。目が足りる舞台ってのもいいなと思いました。


それぞれのペアのシーンでそれぞれの価値観の共通点と相違点が少しずつ見えてきて、だんだん関係性が深まっていく仕掛けが面白かった〜!

亀と浦島さんの間に、だんだん少しずつ友情が育まれていく様子が微笑ましくってにこにこしちゃったな。


あと何が良かったって、舞台機構。回る舞台の上に幾何学で無機質な山。最低限の背景と、最低限の小道具。余計な雑音が入らない空間は、何にでもなれた。

こんなシンプルないのうえ演出、観たことない。


山しかない(小道具いろいろ仕込んであったけど)舞台、ほんとになんにもなかったし、何にでもなった。

NODA・MAPのQを観た時も思ったけど、こういう「なんにもない」舞台を観ると、とっても「嗚呼、演劇だなァ」って思う。

あっ、新感線のいつものやつも大好きだよ。そっちは「いやっほー!演劇!!!」って感じ。


シンプルな舞台で、たった3人で、衣装替えもほとんど無く、ただ福士蒼汰を堪能する芝居。

堪能しましたとも。



福士蒼汰をお腹いっぱい味わう

舞台2回目ってほんとに???


宮野みたいに「ずっと演じてる」役者さん(いやまあそりゃみんな演じてるんですけど、そうじゃなくて)も目立つけど、福士蒼汰って、なんていうか、福士蒼汰のまま板の上に立ってる感じがする。

演じてるっていうより、福士蒼汰をちょっとチューニングしたら浦島になりましたって感じ。うまく言えないけど。

ここ、浦島さんレポのハイライトです!!!うまく言えてないけど!!!!!


いや、ちょっと鼻につく金持ちのボンめちゃくちゃハマってたし、あの大量の台詞があんなに流れるように出てくるの意味わかんないし、普通にすごいんですけど、そうじゃなくて。

なんて言ったらいいんだ。

「ちょっと鼻につく金持ちのボン・浦島を福士蒼汰が演じてる」んじゃなくて、「ちょっと鼻につく金持ちのボンver.の福士蒼汰が浦島」って感じ。

伝わる気がしない。

福士蒼汰が演じる浦島」じゃなくて、「福士蒼汰が浦島」なところがめちゃくちゃ良かったんだよ。


実は一度だけハプニングで、浦島じゃない福士蒼汰を感じる瞬間があって、めちゃくちゃ動揺した。

なんてことはない。着付け用のクリップが袖口に付いたままだったんですよ。いつから付いてたのか分かんないけどオペラしてて見つけたの。

浦島が袖にクリップ付けたまま話が進んでいって、大好きな波に揉まれるダンス(※後述)の手前のシーンで、そっと福士くんがクリップ取って袖に仕舞ったの。


めちゃくちゃ些細な、ハプニングとも言えない一瞬の出来事だったんですけど、あっ、そうか、ちゃんとこの人演じてるんだ、って動揺した。

あんなに動揺したの、それまであまりにも「福士蒼汰が浦島」だったからだと思うんですよね。ナチュラル、とはちょっと違うんだけど。演じてるのは演じてるんだけどさ。

やっぱり伝わる気がしないよ。


とにかくほんとに、なんか、こんなに真っ白でピュアな役者さん、みんなで大切にしていきたいし、たぶん今後も新感線で真ん中張り続けるんだろうなって思った。



好きだったとこ

波に揉まれるダンス〜〜〜!!!!!

圧倒的に好きだった!なんかもう、これめっちゃ好き!!!って思ったのと、同時に起こったハプニングのせいで細かく覚えてないけど、お山の上で踊る福士蒼汰がめちゃくちゃ好きだなって思いました。(語彙力)


あと浦島がめちゃくちゃナチュラルに座るとこが好き。(なにそれ?)(だって、すごい好きだったんだもん。)


粟根さんは粟根さんすぎて特にコメントはないんですけど、粟根さんに「亀」と言われると頼朝が頭を過ぎるよね。かめ。


衣装のギミックも好きだったなあ。肩のスナップボタンを外して裏返しに下ろしたらぼろぼろの衣装に変わるあの仕掛け。

最小限のセット、最小限の衣装、大量のスモーク。

スモーク多すぎて笑っちゃった。玉手箱だもんね。仕方ないよね。


映像ではどうなってたのかも気になってはいる。いつか円盤か何かでまた会えるかなあ。



カチカチ山

続いて行きます!カチカチ山も現地で見といてほんと良かった!

いま巷を賑わせている両国花錦闘士が、このカチカチ山を書いた青木さんなので、期待が爆上がりしている。



どうしても比べてしまう脚本

カチカチ山の脚本、めちゃくちゃ面白かったねえ?!

いやもう好みの問題でほんとごめん。同じように短い原作を1時間の芝居に組み上げるのに、こんなに差が出るかね?!と思ってしまったんだごめんな。その差を純粋に楽しめなくてごめん。


人間と動物と、虚構と現実とが混ざり合ってわからなくなるあの感じ。

人間が話し始めて、動物を演じはじめるのに、あんなに違和感なくスライドしたの、ちょっとかなり感動しちゃった。


なんだろうな?!めちゃくちゃシンプルな筋なのに、あんなに深みを感じたの、何なんだろうな???

宮野真守という武器を最大限活用した狸と、井上小百合という飛び道具を最大限活用した兎、それぞれのキャラデザがめちゃくちゃ天才だった。


カチカチ山の原作読んで、ラストシーンの構成が難しそうだなと思ってて。あの台詞に収束させるのって、現代語劇である以上めちゃくちゃ難しくない?

舞台って余白で落とすことが多くて、台詞で落とすのって難しそうじゃないですか。あまりにキマる台詞じゃなきゃ落なさそうで。

(そういう意味では、けむりの軍団(倉持脚本)のラストの台詞は天才だった。)


カチカチ山は「惚れたが悪いか」で終わるわけだけど。作者ですら「曰く」で書いてるじゃない?

演劇にしたらどうなるのか、ちゃんとまとまるのか、どうなるんだろと思ってたら、台詞改変ナシでスッと話が落ちたからびっくりした。

明確な感想は覚えてないけど、脚本とキャラデザと役者の力が乗算されるとこんなふうになるんだなとぼんやり思ったことは覚えてる。



宮野真守がウザすぎる

人としても狸としても本当に最低な宮野真守、サイコーすぎんか???

正真正銘、2人しかいないからずうっと喋ってるわけなんだけど、1時間ずうっと明瞭に喋ってるのほんとにわけわからん。


原作読んで、37歳の汚い臭いウザい狸を、どうやって宮野真守ver.に変換するのかなと思ってたら、宮野真守37歳、めちゃくちゃ汚くて臭くてウザかったのでほんとこの人すごいと思った。


正直、話が面白かったのでそんなに細かい考察とか感想とか出てこない。1回しか観てないしね。シンプルに面白かった。



井上小百合が良すぎた

可愛い顔した腹黒いウサギ、めちゃくちゃサイコーでびっくりした。

井上さん初見(初認識)だったんですけど、かわいいの化身だったね!!!衣装さんにお金払いたかった。


場が変わって井上さんが衣装変えて出てくるたびにオペラで抜かざるを得なかったので、ちょっと話が入ってこなかったくらいには釘付けだった。


井上うさぎ、可愛いだけじゃないのがサイコーなところで、普通に演技が上手い。

小悪魔というかドSで口の悪い悪魔な兎、一歩間違えるとわざとらしい演技になっちゃうキャラクタを、あまりに自然に演じてて、まさか普段からそのダミ声出してませんよね???


知らなかったけど「ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ」に出てたみたいで、あんな評判の良かった稲作(収穫?)観に行かなかったのが悔やまれる…


二人芝居、マジで想像を絶する台詞量だったんですけど、全くそれを感じさせない役者陣ほんとすごすぎた。



現場が戻り始めた冬

だんだん芝居が再開しはじめて、関西公演も決まり始めて、ようやく手元のチケットを抱きしめられるようになってきましたね。


こんなご時世、外出は控えて、配信してくれてありがとうって言うべきなんだけど、やっぱりどうしても、劇場に行かせてくれてありがとう。


円盤でもゲキシネでも配信でもない、生の観劇の価値と魅力を噛み締めた浦カチ。

すいません、って言いながら他人の荷物を跨いで自分の座席にたどり着くあの時間すら愛おしくなった浦カチ。


ヴィレッジプロデュースと新感線の違いがイマイチよく分かってない(どちらにせよ面白いので)んだけど、次の両国花錦闘士は身近なフォロワーが踊り狂っているのでライブビューイングが楽しみ。

大阪初日と千穐楽のチケットは確保してあるけど、スケジュール的にあと3回まで増やせるのでたぶん大丈夫です。(何が?)


でもその前に劇団朱雀が待っています。

半年の自粛の反動で欲望のままにチケット押さえてて、ひと月の出費が過去最高額になりそうです。

観る前から沼ってて大丈夫か?

激情のままに書き上げたフランケンシュタイン感想【あきかず】

2月24日、フランケンシュタイン大阪大千穐楽

わたし昨日、つい昨日、フランケン初見でかきこに観てきたところだったんですけど…


差分感想置いとく…


もはやこれは別作品だった…

なぜ…どうして…


かきこにの、特にこにアンリの亡霊が、あきかず大千穐楽を観たうわごとです。もうほんと、こんなのうわごとでしかないでしょ…





狂気のハッピーエンド

うそだろ???

フランケンシュタインかきこに回、どこからどう見ても、何をまかり間違っても鬱エンドだったじゃん!!!

なぜ!!!圧倒的!!!ハッピーエンド!!!


北極でね、怪物が、あ、えっとあの、かず怪物の中に人格が2つあるって話は後で書くので一旦どこかに置いといてもらっていいですか?


北極でね、怪物が歌い始めたところまでは、余裕で鬱エンドだと思ってたんですよ。いやまあ、かきこによりはマシですけどね???

そっか、かきこにはアンリがビクターを救ったけど、あきかずはビクターが怪物を救う話なんだなあ、と思ったんですよ。

あ、えっとあの、この話も後で書きます。

落ち着く前にエントリ編集画面を開いたから、構成がめちゃくちゃですまん。全部あとで書く。


ねえ、ラスト、さいご、いちばん、さいご、ビクター、あんな勝ち誇った顔で、歌うなんて、ねえ!ビクター!

そうね、そう、貴方が造った怪物には確かにアンリが宿ってる。それが分かるまでに、3年の月日と、怪物の苦しみと、周りの人たちの死を犠牲にして、それでも、あんな勝ち誇った顔をして笑えるんだね、あきビクターは…


アンリはビクターのために喜んで(心から喜んで)命を捧げ、怪物は自らの死を以ってビクターを孤独にするという復讐を果たし、ビクターは孤独と引き換えに神になるという野望を果たした。

狂気のハッピーエンド!!!

かきビクター、観てる???


まさか最後の30秒であんなデカイ爆弾落とされるとか思ってないじゃないですか。

ねえ、3時間掛けた地獄のような物語を、あの表情と歌声ひとつで狂気のハッピーエンドに仕立て上げてしまった中川晃教ヤバすぎんか???

そんな中川晃教が出ているSHIROHのDVDを、そういえば年明けに買いましたね…無理だ…しばらく観れそうにない…



解釈の途中ですが歌唱力の話をする

中川晃教さん、初見だったんですよ。

加藤和樹さんも、初見だったんですよ。

歌唱力の暴力がすごい。上下左右から歌唱力でぶん殴られた。なんだこれは。なんていうか、音が、太い。つよい。なに?もうほら、分かるやろ???(語彙の放棄)


なんていうかそのほら、ふたりともさ、最後のロングトーンで、もうダメだ限界!ってなってから、まだ2段階くらい伸びるの何なの?怪物?

怪物による怪物の叫び、演劇において聴覚という受容体が持つ可能性を提示された気分だった。

そうかミュージカルってこうやって楽しむのか…

余談、終わりです。



あきビクターは真の天才だった

怪物の2つの人格の話と、ビクターが怪物を救う話はもうちょっと待ってください。ちゃんと覚えてるから。


昨日のエントリで、かきビクターはちっぽけな人間でしかないって話をして、でもきっとあきビクターは全然違うアプローチなんだろうなって書いたんですけど。

うん、全然違うアプローチでしたね。


あきビクター、真の天才だった。常人が理解できない、神に近いところに、上位にいる天才だった。

それを、倫理観とか情とか社会とか、そういう柵が人間界に繋ぎ止めてしまっている不幸。

解き放たれれば空へ飛び立てるのに、本人は飛び立ちたいと願っているのに、中途半端に翼を縫い留められてしまった天才。


かきビクターのときは、エレンとジュリアが人の道を外れるアンリを赦すから、ビクターの呪いが生まれたと思った。

でもあきビクターは、エレンとジュリアが人間界に引き止めるから、ビクターの呪いが生まれてしまったんだと思いました。

それくらい180°違うダブルキャスト、何なの?!


かきビクターのときは、アンリへの愛着がすごくて、怪物を通してアンリの幻影を追い続けてたわけなんですけど、あきビクター、アンリ個人にはそれほど興味がない。

だから森で怪物と再会したとき、言葉を話し、知能を持った創造物に喜ぶ自分と、怪物を殺さなくてはという「人間の常識」との間で戸惑っているように見えた。(かきビクターは怯えながらも、アンリの片鱗が残ってないかずっと探ってた)

怪物の中に「元の人間がいるかどうか」が大事なのであって、それがアンリであるかどうかにはそれほど大きな感情を持ってない…

俺は持ってるけどな!!!アンリ!!!



かずアンリは狂信者だった

かずアンリは、もしかしたらいちばん正しく狂ってませんか???狂気のひと…(大好物)

そうなんですよ、狂気、大好物なんですよ…

かずアンリ、やべえ…


かきビクターを人間として扱って、友として並んで歩いてくれた、こにアンリはもういない…

あきビクターを天才として認め、人間界の柵から解き放とうとする、狂気のかずアンリ…

俺がビクターを次世代の救世主に押し上げるのだ、という暴力的な信仰…


斬首台のあの表情、ヤバくないです?!??!

恍惚としたあの表情…夢が叶う喜びに溢れたあの顔とあの声…嬉しさが抑えきれない口元。

禁断の道をまっすぐ進むビクターへの羨望と、そこから逃げてしまったかつての自分への悪態。ここでビクターのために死ねば、逃げた過去の自分も赦されるかのような、信仰。


斬首台っていうか
あのひと、裁判の時からかなりヤバかった。

裁判でビクターが「俺がやった」って言ったとき、めちゃくちゃ怒って苛立ってるんですよねアンリ。観た???

そのあと裁判官が「無効」って宣言したら、満足そうに頷きながら微笑むの。

こにアンリをオペラしてなかったのが悔やまれる…
あのひとどんな顔してたの…


めちゃくちゃ不敵な笑みで自分の死刑を喜ぶかずアンリ、ヤバすぎて白目剥いた。優しいこにアンリの翌日に浴びる狂気のかずアンリ、心臓に悪い。



怪物とアンリの人格の話

おまたせ!わたし!!!!!ようやく書く!かず怪物の中に、怪物とアンリの2つの人格が共存していた話をします!!!!!


昨日観た、こに怪物は、アンリだったんですよ。だんだんアンリの記憶を取り戻していく怪物だったんですよ。

でもかず怪物は怪物だった。怪物として生まれて、怪物として死んでいった。

怪物として生きているのに、少しずつアンリという人物の記憶が蘇ってきて、自分が自分では無いような瞬間があって。

つまりその瞬間、我々には怪物にアンリの表情が見えるわけですね!!!ヤバすぎる。

生まれてすぐ、「アンリ」と呼ばれて振り返った瞬間は絶対にアンリだったし、カトリーヌと歌いながら「北極…」と呟いた瞬間も絶対にアンリだった。

ビクターの日誌を読んでは頭を抱えて記憶を取り戻し、言葉を思い出す中で「地獄」や「苦しみ」という言葉に反応してまた記憶が蘇る。

ゾッとしたよね。


かず怪物は怪物というひとりの人格で、アンリという人格を支配下に置いてコントロールしている感じ。

怪物という人格が、怪物という人格のままアンリの記憶を手に入れて、理解はできないけど認識はしてしまったという感じ。


とにかく何が言いたいかというと、昨日はアンリ目線で観たくせに、今日はアンリではなく怪物目線で観ていますね?と自分で気が付いた瞬間のわたしの死を一緒に感じてください。

ダメージが…でかい…

Q. 怪物に人格を感じてしまったら、このおはなし、めちゃくちゃしんどくないですか?

A. しんどい…


生まれたことが苦しみで、その理由が狂信者と天才の身勝手で、創造主には名前も付けてもらえず、怪物と呼ばれ、たった、ひとり。

時折、痛みと共によみがえるのは、自分には無い、誰かを信じた記憶。ひとりぼっちの怪物には、手に入れることが出来ない記憶。

えーん!!!かず怪物つらいよお!!!



ビクターが怪物を救う話

前回エントリに引き続き、このあたりは泣いているので7割くらい捏造です。


かきこには、アンリはビクターを救ったけど、絶望の確信犯なのでビクターに残るのは絶望、って話をしました。

あきかずは、アンリとビクターの望みが叶って、まさかのハッピーエンドだったんですけど、それが分かるのって最後30秒じゃないですか!!!

それまでは、ビクターが怪物を救ってやる話だと思ってたんですよ。最後にあっきーの狂気の歌が全部吹っ飛ばしたけど。めげずに書くんだ。


怪物はひとりぼっちで、対等に会話してくれる人間なんて1人もいなかった。

訂正。唯一、会話してくれたカトリーヌも、どん底の生活の中で怪物を見捨ててしまった。


怪物は怪物という特異な存在で、

誰かの特別になることはできなくて

それなのに怪物という特異性すら

「どこにでも怪物はいるよ」と奪われてしまう


誰にも愛された記憶を持たず、創造主であるビクターにも愛されなかった怪物。誰も信じられず、創造主であるビクターすら信じられない怪物。

それなのに、ビクターに友と呼ばれたアンリという人格を、記憶を、内包した怪物。しんどすぎる…


怪物にとってビクターは、自分にとっての創造主であり、アンリの記憶の中の親友で、どちらにしても特別な存在。

そんなビクターが、怪物を殺すためだけに、自分のためだけに、安寧の地である北極までやってくる。

それってある意味めちゃくちゃ愛だなあって。


北極でビクターを「ともだち」と呼んでしまって驚いたのは、アンリではなく怪物だった。

怪物なのに、ビクターを「ともだち」と呼んだ。

あの瞬間、ああ、怪物も「ともだち」のために命を捧げることが出来るんだな、って思ってしまったわたしの業は深い。


かず怪物は最後、ビクターが銃を向けたとき、ゆっくり後ずさるんですよね…ナイフを捨てて、距離を取って、両手を広げて、斬首台のアンリと同じ笑みを浮かべるの。

アンリが羨ましくて、ビクターの、誰かの特別になりたくて、歌いながらこころが泣いていた怪物。

死ぬことでビクターの特別になれるからって、そんな嬉しそうに笑わないでくれよお…


ビクターは怪物に銃を向けながら、やっぱり殺すのは惜しいんだよね…自分の作った新しい命…アンリの復活には失敗した(と思ってる)けど、ほぼ唯一成功した個体だもの。

冒頭で破棄した個体すら少し惜しんだんだもの。

惜しいよね。創造主に惜しまれることで、怪物は救われたんですよ。怪物のまま、怪物として、惜しまれて、死ぬんですよ。しんどい。

その死の間際に「ビクター」と呼んだのも、怪物だったと思うんですよね。ビクターが、アンリでも創造物でもなく、自我を持った怪物自身と向き合ったから、怪物もビクターを個として認めることができた。

「科学者」「創造主」っていう概念ではなくて、自分の中のアンリの人格が呼ぶ名前を、自分も初めて呼ぶことができた。


と、思った瞬間、アンリの人格の存在を悟ったビクターが勝ち誇った笑みで歌い出してハッピーエンド迎えるじゃない?!?!!?!

ねえ、哀しい怪物の物語はどこへ?!??!?



まだ一人二役の話をしてない

強行スケジュールで前楽のエントリを書いて、フランケンシュタインを連続で浴びて、ぶん殴られて、もう力尽きたのでその他の感想は略していいかな…

いや、だめです。

一人二役の話だけさせてください。

日替わりではなく、1幕と2幕の一人二役です。


あの配役、業が深くないですか???

1幕と2幕でさあ…ビクターとアンリだけが入れ替わった関係性になってない???いやあの、深読みしている自覚はある。どうせうわごとなんで、聞いてくれますか?


みんなが忌むビクターを「特別な子」と認めたエレンは、エヴァとしてみんなが避ける怪物を「金」だと言い、居場所を与えた。

同じ子供としてビクターを理解したジュリアは、カトリーヌとして同じく虐げられる怪物に理解を示した。

ジュリアをビクターから遠ざけようとしたステファン叔父が、フェルナンドとしてカトリーヌに怪物を裏切らせた。

常にビクターの味方だと言ったルンゲは、イゴールとして常にジャックの悪行を手助けした。

そしてエヴァとしてフェルナンドの腹を刺したエレンに、叔父の腹を刺した罪をなすりつける怪物…?エグくない…?


そしてジャックにだけはあまり自我がない…欲望(男色?)さえ満たせれば、その他はエヴァの言いなり…かきジャックはエヴァに嫌気が刺しているというそぶりさえあった。(あきジャックにはない。)

これは、アンリの嫌いな過去のアンリなのかなーと思ったり。研究を、諦めてしまった頃のアンリ。神への恐れと、人間への絶望を理由に、研究を諦めてしまったアンリ。周りからの声に負けたのかなって。


ビクターの苦しみを追体験した怪物、ビクターに復讐を誓うの、あまりにもしんどい。

ぜんぶうわごとだけどな!!!!!


ちなみに命名に意味を求めてしまうタイプのオタクなので、いろんな名前をちょっと調べてみたけど、ほとんど分からなかった。

映画フランケンシュタインでヴィクターの助手がイゴールだったってことしかわからん。



残り2ペアはどこへ…?

わたしのかきかずとあきこにはどこへ…?

遠征はスケジュール的に難しかったし、大阪全通も無理だったんだよ仕方ない…

DVD…後生だから残り2ペアも出してくれよお…

観たいんだよお…


だって絶対に歪じゃん?!(ほめてる)

かきかずはさ、かきビクターが、かずアンリの狂信を、絶対に受け止められないじゃない???あっ、コレめちゃくちゃしんどいやつ?永遠にベクトルがすれ違い続ける2人になるやつ???かきビクターがボロッボロの絶望になるやつでしょ???

観たすぎる…!


あきこにの方は、アンリも怪物も、あきビクターの強い意志に耐えられないよね…どうなるんだろう…

でも、かきビクターには友のように接したこにアンリ、あきビクターにも同じように接したら…人間側に引き摺られてしまうビクター…え…裁判前の牢獄のシーン、地獄じゃない???ビクターに飛び立ってほしいのに、ビクターも飛び立ちたいのに、ずるずると引き摺られて泣き崩れるんでしょ2人で…地獄じゃん…(すき)


劇場のアンケートには2枚とも、残りの2ペアの映像化を熱望する声を書き殴ってきました。

千穐楽で加藤さんが「みなさまから、ありえない数の、ほんとにすごい数の、再演の希望があったそうで、異例の速さで再演が決まりました(意訳)」って言ってたから、みんなですごい数の希望届けよう。


フランケンシュタイン、一度食べるだけでも美味しいけど、二度食べたら違う地獄を味わえるビックリ公演だったよね…

信頼できるフォロワーさんたちの沼はやっぱり信頼できるなって思いました。今後ともよろしくお願いしますね…


半日で書き殴ったフランケンシュタイン初見感想【かきこに】

2月23日、にちようび、大阪前楽。

東京公演期間に狂ったように荒れていたタイムラインがずいぶん落ち着いた今頃、ようやく、フランケンシュタイン初見です。かきこに回です。

混乱と絶望が渦巻くこの頭の中を、どう文字にすればいいやらわかりませんが、そんなのはいつものことなので、がんばって書きます。

いつもどおり勝手な解釈しかない!!!ので優しい人だけ聞いてください。





アンリ、アンリ、置いていかないで

ねえお願いアンリ、わたしを置いていかないで。


そんな気分になった観劇後のわたし。言ってることの意味はあんまりよくわかってない。でもアンリが私を置いて行ってしまったと思ったんです、確かに。

正直、2幕の途中までは「あー、今日だけでもいいかも」とか思ってたんですよ。満足していた。

でも最後の最後、アンリが「ビクター」と呼んだ瞬間に、絶対に千穐楽も観ようと決意したよね。


ねえ、北極にいたのは、

泣くように歌った彼は、

「ビクター」と残酷に呼んだのは、

あれは確かにアンリだったよね?


ちょっとまだ解釈もぐもぐ咀嚼してる最中だから中途半端なんですけど、ねえ、あの瞬間アンリはようやく、遂に、ビクターを置いて本当に行ってしまったんでしょう?


アンリの記憶は無いと言った怪物が

アンリの記憶を以って語る北極の歌

復讐をしにきたと言った怪物が

ビクターに来いと言った安寧の地


アンリは最後まで優しくて残酷だった。

わたしはね、もう一度アンリに会いたくて、会いたくて会いたくて仕方がないんですよ。



ビクターとアンリは分かり合えない

前評判どおり、まじで本当に救いのないおはなしでした。(ほめてる)

かきこにペア、ほんとうは弱くて脆い孤独なビクターと、正論で絶望を振り撒く独り善がりな確信犯アンリ、相性最悪の鬱ルートだった。(ほめてる)

(大好物ですありがとう。)


ビクターとアンリ、1幕でどんどん理解し合って、部下からパートナーへ、友から親友へ、お互いの距離を縮めていくけど、結局いちばん根本のところで分かり合えてなかったんだなと思いました。


アンリの目指した「死体の再利用」は、確かに自然の摂理に反する「神への冒涜」だったけれど、決して「死者の復活」では無かった。

生命科学として、死んだモノを使って新しい命を生み出す「創造」だった。


でもビクターの「生命創造」は最初から最後まで「よみがえり」でしかない。

愛する人を、喪ったあの人を、この世に呼び戻す禁忌を犯す。何度でも。それはまさしく「神への冒涜」だった。


幼いビクターは大人たちから禁忌を責められ、美しい言葉で着飾ることを覚えたと思うんです。「よみがえり」を願う実験に、「未来」を語るもっともらしい大義を掲げて。

アンリは戦争の中で、ビクターが掲げるその大義に、美しい理想に同調したでしょう。

でもビクターが本当に望んでいたのは「よみがえり」だった。それを知らず、アンリは自分の命を捧げてしまう。それが研究のためになると信じたまま。


怪物が生まれたとき、アンリの目指した「創造」は成功した。アンリが命を賭けてまでビクターに託した研究は実り、実験は成功した。新しい命は確かにそこに生まれたのだから。

だけど、ビクターにとってそれは「失敗」だった。ビクターが望んだのは新しい命ではなく、「アンリの復活」だったから。

生まれた怪物を、ビクターは拒絶し、殺そうとした。それはつまり、アンリを拒絶したということ。だから怪物は、怪物になってしまった。


お互いを最も理解しているのに、常にすれ違い続けるビクターとアンリ。

哀しすぎる…



最後にビクターを救ったアンリ

でもね、わたしは最後に結局アンリがビクターを救ったと思ったんですよ。アンリは確信犯なので結末は絶望なんですけど、アンリは確かに救ったつもりなんだよ、きっと。知らんけど。


アンリの復活に失敗して3年。

ビクターは反省して、現実と折り合いをつけて、ジュリアと結婚を許されるところまで叔父と和解してるわけじゃないですか。


それなのにビクターは、怪物の策略で姉が死んでしまったとき、やっぱりエレンを生き返らせようとしてしまうんですよね。

アンリで手痛く失敗したのに、また。


怪物はきっと分かってるんですよね、ビクターがエレンをよみがえらせようとすること。だから城の実験室を破壊しておいたわけでしょう。

ビクターが二度と間違いを起こさないように。


ここからは、ほんとに誰かに怒られそうだなと思いながら書くんですけど。

ビクターの孤独を生んだのは、エレンとジュリアだったと思ってるんですよね、わたし。

母の死や近しい者の死と正面から向き合えずに「よみがえり」へ逃げてしまったビクターに「それでいい」と赦しを与えてしまう存在だから。

亡き人にお別れを言えない子に、死を認められない禁忌の子に育ってしまったのは、彼女たちのせいだと思うんです。


だから、アンリは彼女たちを殺したのだと。ビクターが、よみがえりの呪縛から逃れられるように。


彼が蘇らせたいと願う人を先に消してしまって

「よみがえり」を認めてくれる人も殺して

その代わりビクターを非難する人も誰もいない

安寧の地、北極でふたりきり。


そう、アンリはビクターを北極に招くんですよ…

カトリーヌと語った、人間の居ない平和な地へ。


怪物はビクターを殺すこともできたのに

ビクターに殺されることを選んだ

ビクターが今度こそちゃんと

アンリにお別れを言うことができるように。


ちょっとだいふ泣きながら観てたシーンなので7割くらい捏造してると思うんですけど、怪物が「ビクター」と呼ぶ声があまりにも優しくて、まるで酒場でアンリが「仕方ないな」とビクターの世話を焼いたときみたいな。なんかそんな優しさを感じて。


怪物がビクターに告げる「ひとりだ」という宣告も、かつて姉が留学するビクターに「ひとりよ」と言い含めたみたいな、「しっかりしなさい」と諭すみたいな、そんな言葉に感じた。

「ひとりだ」ということは「もう自分は生き返らない」ということ。

人間が誰もいない北極で、 ようやくビクターは生き返らせずに死者に別れを告げることを覚えたんだと思ったんです。

あらゆる痛みと引き換えに。


アンリ怪物は優しく諭したつもりかもしれないけど、ビクターの傷が深すぎるので結論は絶望です。ビクター、あのあと生きて戻れるのかな…いや、戻りはするんだろうな…戻るけど抜け殻なんだろうな…

どう転んでも鬱エンド…(すき)


このあたりまじで記憶が定かではないから、ほんともう9割くらい捏造だと思うけど…



アンリの痛み

怪物がビクターに「俺の痛みをお前にも」「大切なものを奪ってやる」と言うのがずっと噛み砕けずにいます。

怪物は、ビクターのせいで何を奪われたんだろうって。怪物は「生まれたことが苦しみ」ならば、ビクターの大切な人の命を奪うのは何故なんだろうって。


それはもしかしたら、ビクターにお別れを言ってもらえなかったからかもしれないなってボンヤリ思ってる。

このへんはあんまり噛み砕けてないので結論も論理性もない。噛み砕く時間がないので!!!(あと数時間で大千穐楽が始まってしまう)ただの感覚値でとりあえず書き残しておく。


アンリには親が居なくて、ビクターという友が全てだった。その友のために命を捧げたのに、友は捧げた命を喜んではくれなかった。

斬首台で、死を恐れる自分を奮い立たせるように歯を食いしばったアンリは、

自分が罪を被ることこそが、ビクターにとって100%正しいと信じて疑わないアンリは、

「アンリの復活」を願ったビクターの元で蘇ったあの瞬間、ビクターに裏切られてしまったんじゃないかなあ。


アンリはビクターに、自分の死を糧にして進んでいってほしかった。

ビクターはアンリの死に立ち止まってしまった。


ひとりぼっちで、ちゃんと葬ってもらえもせず、怪物が生きている限りビクターはアンリを悼むことはない。

生きてもいなけりゃ死んでもいない。

そんな中途半端な存在。

(あれ?どこの偽義経???)

うん、やめよう、この項はここでやめよう。



ビクターの話をしよう

結局ここまでアンリの話しかできていないので、ビクターの話をしましょう!!!

わたし、坊ちゃんって呼ばれる立場の不遜なかっきーが、だんだん弱っていくのが、とってもだいすき!(参考資料:スリルミー)

アンリの牢で泣き崩れるかっきーが、とってもだいすき…ホント…ご馳走様でした…

ちょっと何が好きなのかまだ咀嚼できてないんだけど、とにかく「すき…」ってなるから、これはもう好みなんだよな。すきです。


ビクターは「人とは違う」「天才」と言われ続けて、普通の人間とは違う何か別の存在に押し上げられてしまったけど、かっきービクター自身はちっぽけな「人間」以外の何者でもなかった。

(中川さん実は観たことないけど、たぶんあのひとは全然違うアプローチなんだろうなという予感だけはしている。)


かきビクターにとって、こにアンリだけが自分を「人間」として扱ってくれた。

友として。親友として。

初めて同じ目線で会話ができるひと。

呑んだくれるビクターを「天才の悩み」と別格に押し上げることもせずに、一緒に呑んでくれるひと。

喪って、失敗して、壊されて、それでも殺すことを躊躇ってしまうひと。


人間が誰もいない北極で、ビクターはちゃんとアンリにお別れとありかとうを言えたかな。

ビクター、弱くて未熟で寂しがりやで、すぐにヨシヨシしてあげたくなっちゃう。

大丈夫よ、大丈夫、いい子ね…



ここでタイムリミット

何も書けてないけど、わたしはもう梅田芸術劇場に来てしまった。大阪千穐楽です!!!

ダブルキャストがリンクしてる話とか、舞台セットの話とか、書きたいことは山ほどあるけど、何も書けてねえ。


とにかくかきこに回は、こにアンリがわたしの情緒を全部持って行っちゃったから、わたしはかきビクターを甘やかすことしかできなかった。

ありがとうDVDのある世界。


別ジャンルのエントリとかプレゼン資料とか重なってたから、昨日の終演後から「締切前かな?」ってくらい追われるようにいろいろ書いた。疲れた。

でも今日観たらどうせもう一本エントリ増えるんだろ。知ってる。


ということで…満身創痍で千穐楽行ってきます…