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気付けばハマる、そこは沼。劇団☆新感線を中心にお芝居について好き勝手書き連ねる場所。

Q1に色濃く漂うキリスト教的思想【見比べハムレットQ1】

彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア・シリーズ2ndのハムレットを観て、演出家と全くサッパリ分かり合えなかったので、同時期に上演していたハムレットQ1を観ました。

脚本が違うとはいえ、明確に意図がある演出、わかりやすいな!!!!!


SSS2はほんと、とにかく、演出が、まじで何にも意図が見えなかったので……多少Q1びいきのエントリになりそうだけど、基本的にはみんな違ってみんないいの精神で生きているので、当然SSS2のほうが好きだったなってところもありましたよ。

ちなみに、演出が解釈違いで大量の違和感を抱えてしまったSSS2のレポはこちら。役者は本当に良かったんだよお……


シンプルなQ1と婉曲表現に富んだF1

Q1って脚本の種類だそうですね。どうやらハムレットの原案で、F1と呼ばれる一般的な(?)ハムレットの半分くらいの長さしかないらしい。

あらすじ、というか存在するシーンはF1とほぼ同じなのに、しかも今回は劇中劇をあんなにしっかりミュージカルとして長尺で演じてるのに、全体としてこんなにコンパクトなの、どうして???


やっぱり独白の台詞量が圧倒的に少ないからなのかなあ。少ないけどしっかり内容は詰まってるし、むしろ比喩表現や装飾語が少なくて端的だから内容がわかりやすくまとまってますよね。

一方で、あの回りくどくて長ったらしくて仰々しくてまさに演劇らしい婉曲表現たち(ほめてます)は鳴りを潜めていて、ハムレットの機転の効いた言葉遊びも少なめ。

その点ではね、SSS2の方が皮肉と言葉遊びに富んでいて楽しかったなと思います。あちらはあの膨大なレトリックを大切にしていた、と思っているので。


圧倒的な台詞量を飽きずに畳み掛けてハコ全体を圧倒する(できる)タイプの役者ならF1だろうけど、そういう才能を持った役者さんってそもそもそんなに多くないと思っている(日本人の生活文化的にも、もっと繊細な感情の機微が得意な人が多いと思うんですよね)ので、もっとQ1やればいいのに……


キリスト教という屋台骨

Q1のシンプルな台詞に、演出の明確な意図が加わって、ハムレットQ1では背景に横たわったキリスト教がめちゃくちゃ際立っていた気がします!!!!!(なおキリスト教についてはそこまで詳しくありません。悪しからず)

冒頭ホレイショーが十字架提げてて、手に聖書か祈祷書を持っていてちょっとびっくりしたんですよね。SSS2にそんな気配はひとかけらも無かったので……

そして姿を現した亡霊が「告解の機会も与えられず、罪を全て背負ったまま死んだことで昼は業火に焼かれ続ける」って恨みが際立っていて、ハムレットの怒りの根源ここか〜〜〜!ってなりました。罪を背負ったまま死んだから苦しみ続ける前王。

SSS2の前王は、妻を含めて全てを奪われた憎しみって感じだったもんなあ。ハムレットQ1、めちゃくちゃキリスト教的怒りだった!


いやよく考えたら当たり前なんですよ。「尼寺へ行け!」って訳されてるけど、それってつまり修道院ですもんね。思いっきりカトリックじゃん。プロテスタントにシスターはいないはず)

それは、つまり、カトリックってことは、離婚って罪じゃん。確か再婚もあんまり良くないじゃん。ハムレットが母に対してあんなに怒っている理由、カトリックの教えに反しているからでは??????

復讐に一歩踏み出せないのもキリスト教の教えに反するからですよね。

という点にいまさら思い至ることができたのがハムレットQ1最大の収穫です。……これもしかして、物語の基本知識だったのかな……


そもそも登場人物が十字を切るシーンがめちゃくちゃ多いし、そういう宗教的な描写がすごく多かった。

狂ってしまったオフィーリアにちゃんと修道女たちが付き添っていたのもそう。付き添ってくれていてよかったです。SSS2で狂ったオフィーリアがひとりで走り回っていて、暮らしとか護衛とかすごい心配になったので……


埋葬のシーンも、自殺を疑われたオフィーリアが葬儀を満足に執り行ってもらえない哀れさがレアティーズの絶望を加速させる。ここはSSS2もそうだったし、SSS2の柿澤さんと渡部さんの掴み合いのほうが好みではありました。

でもねえ、Q1は段差をうまく使って吉田羊がオフィーリアを抱き上げているように見せていて脳汁がじゅわっとしました。違和感が!ない!!!!!



違和感のなさに驚く吉田ハムレット

そう、ハムレットが女性、どういうことかなと思ってたら、どういうことでもなかったんですよ。ただ吉田羊がハムレットを演じていただけだった。何の違和感もない。

これ、すごいことじゃないですか?だって、オールメールでもオールフィメールでもないのに、女性への憎しみを吐く息子の役を、女性が演じて何の違和感もない!!!シンプルに、吉田羊、すごい……


衣装も良かったんだろうなと思います。吉田羊のハムレットは男装していたわけではなかったのが違和感のなさを底上げしていた。

現代社会において、性別に関係なく同じアイテムを身につけることに違和感のないスーツスタイルを基本にした衣装。クローディアス王は男性らしいスリーピース、使者たちはスカートスーツ、女性を象徴するガートルードとオフィーリアはドレスで性別を明示しつつ、吉田羊はパンツスタイルに襟のないブラウス。何の違和感もない!!!!!


SSS2で衣装を近代に寄せた意図が全く見えなくてめちゃくちゃ解釈違いを起こしたんですけど、Q1で現代に寄せた衣装には明確に「男性の役を女性が演じることによって生じる雑音を排除するため」って目的があって、途中で衣装を変えることも無い(靴が変わったりはしたけど)から、あの衣装は時代や位やTPOを表す「装い」ではなく、「記号」として作用していて、演出の妙!!!って感じでした。



神に誠実な牧島ホレイショー

ホレイショーだけが生き残るラストにあんなに説得力があったの、やっぱりキリスト教って骨格を強めに組み込んだ影響だと思います。

前王を殺したクローディアス、再婚したガートルード、復讐にとらわれたレアティーズとハムレットカトリックに背いた者たちが死に、誓いを守り友を助けたホレイショーが生き残り、自らの行いを改めたフォーティンブラスが王を継ぐ。

かくあるべき結末……


牧島くん、舞台キングダムで観たときにめちゃくちゃ好印象だったんですけど、今回さらにわたしの中で株が上がりました。

冒頭の亡霊シーンですでに凛とした佇まいがとても良かったし、ラストシーンでハムレットを抱き抱えながらボロボロに泣いてるホレイショーが「すべての業を知りながら、それでも生きていくことを強いられる生き残った者」でめちゃくちゃ良かった。

キングダムで同役だった小関くんにもジャンヌ・ダルクで同じことを思ったけど、さすが、すべてを背負う嬴政を演じた役者だけあるよね……と思いました。また観たい。



救いであり続けた飯豊オフィーリア

SSS2のオフィーリアはとても幼く無垢であるがゆえに不幸な運命に狂わされた可哀想な少女って感じだったのに対して、Q1のオフィーリアはハムレットの救済を祈り続ける聖女というイメージが強かった気がする。これはどっちが良いとかではなく、位置付けが違いましたよねという話です。

尼寺へ行け!のシーンでも、変わってしまったハムレットが救われるように神に祈り続けていたし、狂ってしまったシーンでも、かつてのハムレットを慕い想い続けていた。

父が死んだから狂ったのではなく、彼女の父を殺すほど変わってしまった、罪を背負うことになってしまったハムレットの身を嘆いて狂ってしまったのだと感じるほどに、彼女はずっとハムレットを案じていた。


ハムレットの救いを神に祈り続けたオフィーリア。

偽り続けたハムレットの本心を、愛を、自らの死を以て日の下に引き摺り出したオフィーリア。

憎しみに苛まれたハムレットしか目にしていないわたしたち観客に「あの頃の気高く素敵なハムレット王子の姿」を説き続けるオフィーリア。


ハムレットにおいてオフィーリアって、父の言いなりになった結果あの悲しみの運命に飲み込まれていく可哀想な役回りだけど、彼女の死がレアティーズとハムレットを大きく動かすめちゃくちゃ重要な役どころだよな、と改めて感じました。



ある意味ずるい大鶴レアティー

SSS2のレアティーズが葛藤を見せる好青年に描かれていたのに対して、Q1のレアティーズはよりハムレットへの怒りが強調されていたように思います。

ランスへの旅立ちでは父を慕っている様子が強調されていたし、花を配るオフィーリアは完全に兄をハムレットと取り違えていた。

知らない間に父を失い、妹には認知してもらえず、側にいたのに死なれ、どちらも満足な葬儀すら行われない。そりゃ怒るよね……


冒頭の結婚式ではハムレットとの微妙な距離感が示されていて、SSS2で示唆されていた「信頼に足る相手」という関係がQ1にはなかった。

わたしはSSS2のレアティーズの葛藤が(というか渡部レアティーズが、かもしれない)わりとすきだったので、Q1の大鶴レアティーズがハムレットへの情や信頼をあんまり持っていなくて、純粋に強烈に怒っていて少しびっくりしたんですよね。


SSS2のときは、罪を告白したのはレアティーズの葛藤の結果だったと思ったんですよ。ハムレットの本物の愛とか、告白とか、そういうのを聞いてやっぱり改心したから全部自白して、信頼を取り戻して死んだんだと思ったんです。

でも自らの死を悟った大鶴レアティーズが王の悪事を白状して、ハムレットを許すと呟いて死んでいったのを見て、ああこの人は自分の死に際に、ちゃんと罪を告白してから死んでいったんだ、と思い直しました。

大鶴レアティーズの罪の告白は、友情や改心じゃなくて、死ぬ前に告解して罪を赦されるための行為だったように感じました。ハムレットを許したのも、ハムレットのためじゃなくてレアティーズ自身のため。復讐を果たして、自らは告解も果たして、彼はきっと救われた。罪に手を染めた登場人物の中で、ひとり告解を遂げて勝ち逃げした感じ。ずるいよね?!

いや、まあ、レアティーズは物語的に巻き込まれ事故にも程があるので救われてはほしいですが……



ある意味ずるい吉田クローディアス

吉田栄作、死ぬほどスタイルがいい!!!!!!

クローディアスが出てくるたびに、スリーピースのスーツの裾から覗く足首のカリッとした細さに慄いた。そのシルエット、ルパン三世のやつだよ!!!


SSS2の吉田クローディアスは……いや、吉田が多いですね?!SSS2の鋼太郎クローディアスはめちゃくちゃ小者感とか小狡さがあったんだけど、Q1の栄作クローディアス、とにかく何をしてても視覚情報がイケオジなんだよなあ……ほんと、ある意味ずるい。

演技としても、あんまり悪役感がないというか、情けなさのほうが強いというか。

一方で亡霊として出てきたときは、フードを被って現実味を無くしている中での声の凄みと存在感がすごく強くて、ハムレットが憧れる前王の姿そのものという感じでした。説得力。



女よりも母として在った広岡ガートルード

SSS2の高橋ガートルードって、母としての在り方よりも、女としての感情を優先させる、正直で純粋な女性だという印象でした。

Q1の広岡ガートルードは、母としてのふるまいを女としての感情で包み隠す、したたかな女性だと感じます。

明らかにホレイショーと連絡を取っているシーンがあったから、そもそもの脚本からして違うのかもしれない。


再婚したときまでは奔放な女だったけど、前王殺しを知った後は、神の教えに背いて復讐をもくろむ息子にさえも無償の愛を与える母親だった。

ハムレットが寝室でクローディアスの罪を突きつけたときも、あれはハムレットを恐れたのではなく、自らの罪を自覚して怯えていた。


SSS2よりもガートルードの行動にちゃんと筋が通っていて、意志が感じられて、自我のある描かれ方で安心しました。

きっとそもそも原作に、女性に自我がほとんど無いんですよね。女王が存在する文化圏ではあったはずだけど、やっぱり女性の発言権や意志主張はきっと弱かったはず。

そこから考えると、ハムレットQ1では原作から大きく逸脱しないレベルで女性たちにしっかりと役割を与えたのかなと感じています。



そんなん言うて知らんけど

元の脚本なのか、松岡さんの訳なのか、森さんの演出なのか、本当のところはどれによるものなのか全然わかんないけど、SSS2よりも演出に納得感が持てたハムレットQ1。

結局ねえ、中島かずき井上ひさしの気持ちの良い台詞と構成に育ててもらったわたしには、シェイクスピアって言葉選びも物語の因果関係も難解だし分かりづらいんですよね。

いのうえひでのり蜷川幸雄の妙を浴びてきたわたしには、わかりやすい演出の意図が欲しくなるんですよ。

そもそもシェイクスピア作品に挑む土壌が足りないのかなあ。でも古典作品も観ていきたいしなあ。


また観るべきか、辞めるべきか、それが問題だ。