題材としても構成としても役者の力も悪くないはずなのに、なんとなくぼんやりした感想に落ち着いてしまいそうなのがすごく惜しく感じた作品「GOOD〜善き人〜」のレポです。
「観たものはなんか書く」を今年の目標にしてるからエントリを開いたものの、わりと訳・演出にネガティブな感情を抱いています。役者の熱量は良かったから余計にね。
recriはじめました
とりあえずこの作品を観に行った経緯から。
去年から気になってた芸術サブスクサービスに登録しました。舞台プランと展覧会プランがあって、毎月1枚チケットが届く。
こんなとこまでサブスクになったのか、と思いつつ、自分では選ばない作品に出会えることを期待して、とりあえず半年くらい試してみようかなって思ってます。
- マイページで翌月の行ける日を登録しておく(この段階で翌月スキップも選択できる)
- 毎月10日に候補作品が3つ届く
- 13日までに作品と観劇日を選ぶ
- 月末〜翌月頭にチケットが届く
こんな仕組みです。今回は銀行強盗で縮むやつと坂本龍一のやつと3択で、結構迷いました。
ちょっとお得とはいえソコソコの値段を支払って、何が来るか分からない舞台作品を月イチで観るってなんかめちゃくちゃ上流階級の趣味って感じがする。
どの層狙いのサービスなんでしょうね???わたしは能動的に食指が伸びる範囲が狭いのである程度強制的な新しい出会いを求めて登録してるからまあピッタリなんですけど、雑食民じゃないと生きていけなさそうなサービス。
もうちょっと続けてみてまた感想書きます。もし詳しく聞きたい人がいたら声かけてください。
「善」を語った話ではない
佐藤隆太と萩原聖人が出てて、ナチスのユダヤ人差別に屈してしまう市民の話。題材とタイトルからして「どんないいひとでも加害者になり得る」みたいな話かなと思ってたけど全然違いました。
全然違うのに、なんとなく観終わった時の感想が「善悪って難しい」みたいな一言に落ち着いてしまいそうになるのが本当に惜しい。
この「口に出しやすい感想に落ち着いてしまいそうになるけどその向こうに大事な現実がある」の危うさは知ってますよ。それ、ミュージカル衛生で学んだ。
今回は「楽しい」じゃなくて「難解」に誤魔化されて深く考えずに、あらすじの言葉「善良な」をそのまま自分の言葉にしてしまうようなイメージ。
だって、ジョンって、ほんとに善良な人間か?ほんとに?
あらすじに「善良な」って書いてあって、佐藤隆太だから、無意識に「この人は善良なひとだ」って思い込まされてませんか?
わたしはジョンが善良だなんて1ミリも思わなかった。「これは長い目で見れば良いことだ。自分は善良だから悪くない」って屁理屈捏ねてずっと逃げてるズルい人間だったよ。弱虫で、臆病で、自分勝手で、我儘な人間だったよ。
家族がいるのに学生と不倫する大学教員。優柔不断で流れに身を任せていたらナチスの親衛隊の幹部にまでのぼり詰めて、いろんな作戦に割と深く関わったのに、「俺は善人だ」って信じ続けてるひと。
それはさあ、絶対に善じゃないじゃない???
タイトルが「GOOD」なの、完全に皮肉じゃん。いかにも善人ですって顔した佐藤隆太を当ててるの、めちゃくちゃ皮肉じゃん。でもその皮肉、客席にはあんまり効いてないような気がしていて……
っていうかそもそもホロコーストに対して「善悪って難しい」なんて言ってる場合じゃないのよ。人類最大の大虐殺に対して「善性」を見出してる場合じゃない。アレは他人事への無関心と自衛を正当化した結果であって、決して善意なんかではない。
ナチスの第三帝国と手を結んで、彼らと同じ側に居た日本でこれを上演する意味への期待が高かっただけに、脚本なのか演出なのか、なんだかぼやけてしまったのが惜しい。
自分では選ばない作品だし、ナショナルシアター版の評判がすこぶる良いし、楽しみだなーと思ってたんですけど、これ、ほんとに原作の意を汲めてる?本来はもっと身に迫る危機感を煽られるような作品だったんじゃないか?と感じてしまった作品でした。
原作に思いを馳せる
これ、どれくらいの知識レベルを想定した脚本なんだろう。冒頭から漂う「そっち選んじゃダメでしょ」のキーワードや伏線が、ちゃんと生きているのか全然わからない。
一般的に「シナゴーグ」くらいは通じてるのかな。「オーバーシュレージエン」の地名でアウシュビッツを連想できる人はどれくらいかな。
さすがに「ティーアガルテン通り」と言われてもピンと来なかったんだけど、私が無知なだけでしょうか……
世界の平均はどうなんだろうね。原作の上演地域ではみんな知っているんだろうか。
キャラクタが「ジョン」「モーリス」「アン」なので、たぶん英語圏の原作なんだろうと思うんですけど。ドイツだとヨハン、モーリッツ、ハンナかな。知らんけど。
ありふれた、どこにでもいる人たちの話にするために、きっと敢えて自国語(英語)のありふれた名前がついている。
そうやって自国の文化に寄せることで、過去の他国の市民が無意識に加担してしまった悪辣な所業を「自分ごと」にしようとしているんだと思ったんです。
そう考えると、日本版のこの脚本と演出はあんまり「自分ごと」に持ち込まれなかったなって。
あくまでも遠い国の、違う文化の、違う時間軸の話で、虚構の向こうにぼんやりと浮かぶ後悔。うーん、やっぱり惜しいよね〜〜〜!
ここまで書いてようやくNTL版のサイトであらすじを読みました。作品ジャンル、ポリティカルスリラーだってよ?!やっぱり人間性の話じゃなかった……
虚構と現実
現実と妄想、過去と現在、家と病院。時間軸も場所も実在すらもごちゃまぜの1幕。
ジョンが現実逃避したいタイミングで音楽が流れ出して、生バンドと楽しそうにリズムに乗ってるのはすごく虚構っぽくて良かった。
それがラストシーンでは、見えてる景色は虚構のような地獄なのに、鳴り響く音楽が本物で、これは現実なんだという絶望。なんだけど、あんまり絶望に見えなかったのが残念だなあ。2幕に入ると妄想の楽団の登場がガクンと減って、音楽=妄想の図式が薄まってたからかもしれない。映画版とかNTL版はもう少し対比がはっきりしてるっぽいですね。
構造としてはめちゃくちゃ面白かったんです。フェイクが混ざることでラストの絶望が増すギミック、めちゃくちゃ好きなので。でも、うーん、画としては面白かったけど作品としては正直ちょっと集中力に欠けた。
ほんと、画としては面白いんだよなあ。でも、1幕ラストと2幕ラスト、どっちも一番盛り上がるはずのラストシーンで、残念ながら集中力が全く保たなかったんだよね。
「GOOD」という皮肉がきっと本編でもキーワードになっていて、「善良だ」とか「良いこと」とか、そういう台詞の部分がきっと全部皮肉として見えるんだろうし、英語ならひとつの単語だからキーワードとして軸が通るけど、訳すといくつかの言葉にバラけるから……
言語の宿命ではあるんですけど、テーマがぼんやりしちゃうよね。しかも「善良な」って「GOOD」ほど身近な言葉じゃないから特にね。翻訳作品としては難しい題材だったんだと思います。
あと語り口調がわりと一本調子だったのも、ドイツ語っぽいと言えばそうかもしれないけど……そこはもうちょっと演出として緩急あるとよかったな〜
役者の力を感じた
3時間、一度も引っ込まず、暗転もなく、ずっと、ずーーーーっと出突っ張りの佐藤隆太、マジでめちゃくちゃ大変だったと思うし本当にすごすぎた!
右から、左から、後ろから、他のキャラクタが次々に姿をあらわして、そのたびに時系列と場面が変わって、ノータイムで違う時間軸の話が始まる。佐藤隆太だけが時間と場面を次々飛び越えていく。役者ってすげえ。
それから、出番は短いけど出てくるたびに彼を取り巻く状況が刻々と変わっていく萩原聖人は、存在感が桁違いだった。
支離滅裂でそもそも実在するのか妄想の存在なのか疑わしい1幕から、確かに実在する人物なのにいまここにいるモーリスが本物なのか妄想なのか疑わしい2幕終盤への流れ、これは演出としてもピカイチでしたよね。冷静と同様のバロメータがジョンと真逆で、対照的なふたりの姿が、1幕はアンバランスだったけど2幕はしっくりきた。どう考えてもクライマックスはモーリスとの会話シーンだったよね。
原作はどうやらモーリスが比べ物にならないくらい悲惨な目に遭っているみたいで辛くなったけど、それよりなによりアンの存在が根底からひっくり返る設定で衝撃でした。なんでそれ日本版には無いんですか?
知れば知るほどNTL版が観たいんですが、どうやら権利切れで国内での上映終わったそうです。ジーザス!
新しい出会いという意味では成功
作品との出会いという観点では、recriを導入した当初の目的は達成されているのでおおよそ満足です。
観劇体験としては、もっとゾッとしたかったというか、差し迫った危機感を持って観終わりたかった気持ちがかなり強いけど、役者の熱量と題材が良かったし、いつか原作に触れようと思うきっかけになったのでそれなりに満足です。もし原作に近いものを観る機会があったらまた整理したいな。
とっ散らかってる感想ですが、「何かしら書き残す」という目的は果たしているのでこちらもおおよそ満足です。