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気付けばハマる、そこは沼。劇団☆新感線を中心に、独断と偏見のもとで好き勝手言い募る場所。

【考察】「天」とは一体何だったのか、自分のための解釈を書きながらまとめました。【髑髏城の七人Season月】

いよいよ修羅天魔の道に踏み入れるために時速250kmで登城中ですが、月髑髏の話をします!!!

結局。自分のための解釈まとめエントリになりそうです。覚書だね。

 

関西居住のわたしが上下2髑髏+ライビュで計6回。多ステのみなさまには足元にも及ばないけど、自分史上最高に狂ったように劇場に通ったし、狂ったようにエントリを書いた。普段感想をまとめない人間なもので、月だけでエントリ8本ってほんと狂ってる。けど、月髑髏って一体何だったのか、わたしまだわかってない。

わかってないから書いてみる。アウトプットして昇華させていくタイプなんです、すみません…完全に自分のための解釈エントリなので、ご興味ない方は回れ右していただければ…

小説も戯曲も交えた話をします!

 

 

  1. 「天」とは何だったのか(捨之介編)
  2. 「天」とは何だったのか(天魔王編)
  3. 月髑髏とは一体何だったのか

 

 

「天」とは何だったのか(捨)

 捨之介の倉庫での過去話。「天ってぇのは、高ぇんだ!」って言うとき、霧ちゃん、解らないじゃないですか。わからないけど、なんか捨之介が昔を想って決意してるのを見て「お前…」って言うの、全く同じ気持ちでした当時のわたし。捨之介お前…どういうこと???

 

12月半ばに一度観て、落ち着いた年末ごろからじわじわと湧き出した疑問。「天」って、何?
というのも、捨之介の語る「天」と、天魔王の語る「天」がどうしても食い違うんです。同じ言葉なのに、話が食い違ってて交わらない。その交わらない概念をわからないなりに書き殴るので誰かご存知の方は補習通うので胡瓜に教えてください…

 

基本的に、捨之介の言う「天」は、常に「天の殿様」に紐付いていると思ってます。捨之介は決して「殿様」とは呼ばずに「天の殿様」って呼ぶから。

これ、地の男だったからかな?地からは手の届かない天に座す殿様ってこと?もしかすると昔からずっとそう呼んでたのかも。信長に直属で仕えてはいても、市井に潜り込んでたなら他の殿様のことも「殿様」って呼ぶだろうし、下手したら他の大名のところへ潜り込んでたのかもしれない。

とにかく、月の捨之介が「天」を語るとき、そこにはイコールで信長がいる。天地人の構図」から、ラストの「天の殿様に喰い殺されるところだった」まで、全部。

 

で。

 

この「天=信長」説だと、唯一武器庫の場面では信長ではない「天」という概念が出てきてるんですよね。というよりは、例えてる?信長を天に例えてるくせに、その天を天空に例えてる。で、さらにその天空を天下人に例えてるのかなって。

…よしよし。混乱してきたけどちゃんと書き残しながら進んでるから、読み返しながら書くぞ。

 

「天っていうのは、高ぇんだ!」は、まだ信長のことかなあ、と思っています。

捨之介は、信長が死んではじめて信長の大きさを知ったんじゃなかろうか。いつも自分に下っていた指令の奥深さとか、懐の大きさとか、視野の広さとか。仕えてるころは天蘭のような執着も心酔も無くて、「主君を喪った」ぐらいの認識だったのに、次に仕える「天=天下人」を探して渡り歩いてみたら、結局「天=信長」と同じような人なんて存在しなかった。ああ、俺はすごい人に仕えていて、もうそれは二度と手に入らないんだ…が「天っていうのは高ぇんだ」なのかなって。

 

でも、信長じゃなくたって、天下を取る者はいまの世間にとっての天下人、上に立つものなんだ。それは決して信長に成り替わることではない。だから「天は天だ。でも、見える景色はみんな違うはずなんだ。」に続くのかなって。

天下人は人民を苦しめる存在ではあってはならないってのが捨之介のポリシーだから、「そんなのは天じゃねえ!」になる。一応、わたしの中の天(捨之介編)はこんな感じで収まりが(どうにか)つきましたり

 

捨之介は「天=天下人」と自分の住む世界をくっきり分けていて、自分がそこへ上がることは絶対にないんだろうなぁと思います。

それに、捨之介自身は信長のことを信頼していたけど、世間を見渡せば信長の統治が終わって喜ぶ人たちもいたのかもしれない。市井の様子を知る、「天」以外の殿様を知る「地」の男だからこそ、見えているものがあったのかも。

小説版に、いくら影武者がいたって、影武者を本人として立てるには家臣の団結が不可欠、って話があったんですけど、天才カズキナカシマは、影武者って設定によって、逆説的に本人に成りかわることの難しさを描きたかったのかしらね…天才かよ…

 

 

「天」とは何だったのか(天)

はい、月の問題児天魔王くん。きみが「天」を大混乱させたんですよ〜〜〜

わたくしワカ以前の髑髏を観て気付いたことがあります。天魔王のセリフ削られすぎじゃね?

天魔王が天魔王になった理由、無界襲撃の理由、蘭兵衛がほしい理由、戦乱に戻したい理由、どれも喋らなくなってるっていうか、昔の髑髏城セリフ多くない?!なんで?!いまのほうが公演時間長いのに!!!

ということで、月だけ観たらとっても不可解なところが、アカアオワカ観たらある程度解消されちゃったよっていうおはなし。でも書くよ。月の解釈もちゃんと書くよ。

 

月は捨天が分かり合えない話

dramatic9ri.hatenablog.jp

だと思ってるんですけど、その最たるところが「天」かなって。天魔王は殿のことを「殿」と呼ぶから、「天」は決して殿ではないんですよ。その時点で食い違ってるの。早くない?

天魔王は信長にしか仕えたことないからね。唯一であり絶対の「殿」。自分のことだって、「天」とは呼ばせても「殿」とは呼ばせない。いくら殿を真似しても自分は殿じゃないってコンプレックスがあるから…というのは以前書いたエントリの妄想です。

dramatic9ri.hatenablog.jp

 

とにかく天魔王にとって「天」は固有名詞ではなくて、理想なんですよね。過去の理想なの。信長がいたときに自分が置かれていた環境。あのとき見えていた世界。ヒリヒリする駆け引きをくぐり抜けてようやく見える世界。それが「天」であり、天魔王が再現したい世界。

ワカまではね…天下を取りたいならゼロから自分の手でやれって、その目的が明確だったんだけどね…いまは駄々っ子です…「やだ!あいつの天下、ヤダ〜〜!!、」って地団駄踏むコドモ。

 

ちなみに捨天対決で「俺が、いや、わたしが天だ!」と言うのが上弦の早乙女天魔王。同じ場面、鈴木天魔王は「天は俺のものだ!」だったという自分レポが手元にあるんですけどほんとかな?どこかに「天は全て俺のものだ!」って台詞もあったよね?

とにかく天魔王の「天」は「信長と一緒に目指していた世界」であり、しかもそれは「信長には成し得なかった世界」です。あの偉大な信長にも出来なかったことが、俺にはできる!という自尊心。書いてて哀しくなってきた。とにかく月の「人」の男は、影武者としての生き方しか知らずに来てしまった。ホンモノを喪った影武者は、ただのニセモノです。だから「言うな!」って叫んだんだよね。「ニセモノだって人の命は守れる。」でも、ニセモノだなんて思いたくなかったんだよね。ニセモノじゃない自分が存在しないから。哀しい…哀しいなぁ、蘭兵衛…

 

 

月髑髏とはなんだったのか

ほんとはこのあと「蘭兵衛とは誰だったのか」「捨之とは誰だったのか」も見出しに入ってたんですけど、なにを書きたかったのか覚えてない。(見出しは3週間前に書いた)

しかも休憩しながらここまで書いたところで関東に入国してしまったので、もうこれはいいかげん月髑髏の話を畳んで修羅の道に踏み入れということだな?

 

ワカ→アカ(DVD)→鳥風月と観てきて、月終わって落ち着いて、最近WOWOWの恩恵でアオと97年版のどっちも前半だけ(録画してるので途中まで)観たんですけど、比較してみて思ったのは、月髑髏って、キャラクタの弱い部分を表に出した話だったのかなって。

 

ただのニセモノになってしまった天魔王のコンプレックス。求められる分を弁えてしまえる蘭兵衛の承認欲求。本当の喪失を知らない捨之介の驕り。生き地獄を知る太夫の物分かりの良すぎる良さ。兵庫の若さゆえの危うさ。

狸穴という大人と、贋鉄斎とおっとうって保護者がいたけど、基本的には歪で、不安定で、弱くて、キャラクタのそんな面を凝縮した物語だった気がします。

その中で、弱さを克服して大人になっていく霧丸にわたしたちはどれだけ救われたか…!ありがとう霧ちゃん…

 

あああ、間に合った書き上げた!無理やりですけどこれにて月レポ終了です。メンタルやわやわの月髑髏に浸かってしまったわたし、あと30分で修羅の道。

 

この髑髏城、みんなで生きて抜け出して、また会うぞ!